1月21日

遠くからみた山の上半分は白い。山の中は雲に覆われ薄暗く、吐く息は白く、とても寒い一日。ふとカレンダーをみると大寒の翌日だった。とはいえ、枯れ葉の落ちた木の枝はほのかに赤らいでいるしで、新芽も出ていて、春の萌しを感じる。夕方、晴れた北東の空には大きな満月。冬の空は澄んでいて美しい。

おかしな事件や事故が多くて心配している。その要因として、生活において、月と太陽のような二面性を持っていないからなのじゃないのかとわりと真剣に考えている。民俗学者兼政治家の柳田國男ほどでなくとも、現代ではわりと簡単に他アカウントを作れる。SNSのアカウントをふたつ以上使い分けたり、太陽暦と太陰暦、定時法と不定時法の時間を使い分けたりすれば、メンタルが充実できるのではないか。元々日本って表と裏の国なのでしょうから。

さて、仕事終わりに、亀山まで車を走らせ、いつものおっちゃんからコーヒーを買いに行く。1月末で店を一旦たたみ、2月から津に移転して営業するというから挨拶に行くと、お返しにおまけをつけてくれた。個人商店ってさいこうだな。気分良く帰宅して、今日から三日間のゆるい断食を行う。

夜、コタツムリになりながら、昨日買った『食のパラドックス』を読む。為末さんが「私なりの結論は子供が才能を持っていると思った時点で一番いい親の態度は、自分の人生に集中することだ。目標を持てと言っている親自身に目標がないことを、子供はすぐ察知する。負けるなと言っている親が、ちゃんと勝負しているかを子供はちゃんと観察している」と呟いた。そうなんだよあな。だから、自分の頭で考えようと思いはじめた。子供は思っている以上に鋭く敏感で大人なのだろう。ぼくもそのことに子供の頃に気がついた。大人って口だけで、なにも勉強していないじゃないかと。そのうえ自分が言っていることは勉強したことや足を運んで体感したことではなく、メディアに洗脳されて思い込んでいることなんだろうなと。おっと失敬。ここの部分に対して、ぼくはカウンターな態度をとる。気になったことは勉強する。体感する。足を運ぶ。

大人になってから勉強する大人は少ないし、1ヶ月で10冊以上本を読む大人に最近まで会ったことがなかった。(この数ヶ月で数人にあったのだけど)(それを求めてたわけだけど。)強烈に意識し、それを求めていけば、未来が変わることを本は教えてくれた。昨日立ち読みした『伊丹十三選集 第一巻 日本人よ』が猛烈に読みたくなってきた。買おうか、買わまいか。買うんだろうな。なにごとも身銭を切るにかぎるな。