1月2日

刀を鍛える場を鍛錬場という。自身を鍛えることを鍛錬といったのは、宮本武蔵か柳生但馬守宗矩かそれよりも前なのか。雪山からの帰り道に、岐阜の関に立ち寄る。

 

刀の鍛錬の神事を見る。目の前で真っ赤に熱した鉄をトンテンカン、トンテンカンと小槌と大鎚でリズムを刻みながら打っていく。鉄を叩くことによって、不純物を叩き出す。「トンチンカン」は、この拍子が合っていない様なんですね。鉄を打つことを鍛錬というのがまたいい。小槌を打つ刀匠の調子に合わせて、先手(助手)の刀匠が大鎚を振るう。力強く鉄を打ったときの空気の振動、飛び散る火花、叩くたびに冷める鉄と音の変化はその場でしか伝わりません。

 

動物農場ですくすく抗生物質を与えられた動物のように、目に映った気になるものを次々と写真に収める日々を卒業すること、スマホの電源を切って豊かな時間を楽しむこと、そのために昨年以上にステップ軽く現地へ赴きこうとおもいながら、岐路に立ちました。

 

夕方に自宅に帰り、遠出の間に頭に浮かんだことを振り返る。夜、エイミー・ワインハウスの自伝映画『Amy』を見る。冒頭10分のあたり、若きエイミーは、「私が10代の頃世間で流行っていた音楽というか発表されていた音楽は本物じゃないと感じてた 薄っぺらでくだらなくて 他人が書いた曲を歌わされているだけ だからわたしは曲作りに挑んだ 自分で何が書けるかと 当時聴きたい曲がなかったからよ それにジャズやジェイムズ・テイラーやキャロル・キングの名曲を聴いていたから 心の内をあらわす新しい曲はもうない気がした だから個人的な経験を 曲にすることにしたの」

 

今年も内省をつらつら書き出そうとおもう。今年は岐阜や福井や石川や富山に縁がありそうな一年の予感がする。ルーツを追いかければなおさらね。やることはもうすでに目の前にどんどんやってきているから、すでに楽しみないちねんになりそうだ。