12月4日

昨日の雲は今日も鈴鹿の山を越えられずにいる。一日中も霧の森にいると、思考がぐるぐる回る。


AIには人の感情を読めないと、誰がいったか。そんなAIより、現代人の方がよっぽど親切じゃないと思った今日。なぜそうなのか、考える。苦痛を知らないことじゃないか。それを解決するのは、苦痛でしかないのではないのか。苦痛を知っていることではないか。その苦痛を広げていったら、他者の気持ちが分かるのではないか。

不足からしか生まれないものはある。十分に満たされている世の中では、気づきにくくなっている。鈍感になっている。悲しみの筋肉の反応が鈍っている。苦痛を無視したポジティブシンキングに艶やかさはない。

その苦痛に気づくのには、余裕が必要だ。創発の場所も必要だろう。身体が健康である必要がある。

しばらく、苦痛の棚と、食べ物の棚をテーマにしよう。苦痛も食べものも喰らう。