11月22日

雨降る寒い朝は、冷たい空気に吸い込まれそうになる。

 

The MG'sを聴きながら、倉庫でひとりワイヤーを編んでいると、数年前に山仕事をはじめた僕に師匠が言ったことを思い出す。山でワイヤーが切れて、でもどうしてもワイヤーが必要なとき、ワイヤーを自分の手で編むのか、それとも、ホームセンターまで買いに行くのか、どっちがいいねん?と。そこから、ワイヤーだけでなく、生活のあらゆることがそうではないのかとふとおもった。このできごとは、ぼくのひとつのメタファーとして記憶に刻まれている。

 

物質的になんの不足もない現代の生活を振り返ると、ないものは買ってくればいい、すべて整っている、といった前提条件のもと、生活をしているということに気づく。困難な状況に直面するほどに、自分の無力さを痛感する。けれど、困難の解決方法は、ホームセンターに買いに行くのが常套手段な今日である。それを、自分の手で編むにすこしずつ変えようとおもって、試行錯誤、思考錯誤して数年。この日記を始めたのも、その変化をいつか振り返れればいいと思ったからだ。

 

足らない道具の変わりを、別の道具で(あるいは、知恵で)解決する能力をサバイバル能力と呼び、それは不足からしか生まれないとする。そのサバイバル能力を手に入れるには、この豊穣な現代では自分で不足の条件を作って、トライするほかないのだとおもう。

 

世界は本当に豊かなのだろうか。野生の思考をもちながら現代を生きていくべきではないのかと倉庫で考える。数年前に比べると、ある目的を達成するために、必要なものがなかったとき、別に何かで代用する能力を少しずつ身につけてきた。(なによりもそうかんがえる思考を手に入れたことが大きい。)

 

ブリコラージュに生きる。いまはそれがいいと思っている。