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11月14日

仕事中に、石川直樹の機械信用できない話がおもい浮かぶ。今年の1月に安曇野の田淵行男記念館に行った時のことだった。振り返る。

 

そうそう、石川さんの展示で、グリーンランドの犬ぞりの話が添えられていた。グリーンランドではその写真を撮った当時、いまから数年前でも、犬ぞりを使っているそうだ。一見すると、時代遅れだとおもったり、極地だからしかたないなとおもうかもしれないが、そうではない。それは、極地で生活するのに、あらゆる状況から判断して、いちばん有用なものがスノーモービルより、犬ぞりだという単純明快な理由だという。そのキャプションにはこう書かれていた。「機械は壊れたら動かない」

 

われわれは、あらゆる想定をしていかなければ生きていけない厳しい場所では、そうなのに、そんな想定のいらない世界では、なんてのほほんと日々を過ごしているのだろうか。野生とは、生きることにほかならない、と強く思った。

 

師匠と新人の違いを考えていると、技術はまあそりゃそうなのでここでは議題にあげないとして、考え方や思考の順を観察すると、はっきりとゴールが見えているかということ、方針が決まっているかどうかということにあるのではとおもった。(しかも、師匠となるとその方針を決めるのだけど、頭では複数持っていて、リアルタイムでどんどん方針を動かしていくようだ。)

 

達人は必要最低限の型を持っていて、型というと技能や知恵のモジュール化→それぞれのシチュエーションにおけるシュミレーションの最小単位を、組み合わせ、組み替えている。そのうえで、あらゆるシチュエーションの現状を的確に素早く把握し、状況は変わるものという性質を踏まえ、自らを何者でもないものとして振舞っている。

 

それを行きていくことにあてはめてみると、遊びのある方針を自分自身で決めることがなんだろうなとおもう。(社会という不特定多数の人が行き交う世界の上で、あるいは、別レイヤーで、)自分で決めたルールのゲームをしながら、評価も自分で決める。カオスな世の中に立てる軸にこそ、妙技が隠されているようにおもう。

 

よくわからなくなってきた。「機械は壊れたら動かない」のだから、「全ての装備を知恵に置き換え」、「方法であり普遍」を求めることなんだろうな。