10月28日

朝から、近くの神社の木の伐採。町の一斉掃除で、おじさんたちがたくさん集まっていた。なんてことのない作業だったけれど、作業中に、宮本常一の強い地域とそうでない地域の話のことが思い浮かんだ。ひとがブリコラージュするように、町もブリコラージュしているのではないかとおもった。

 

町に住んでいる人で、あることはあの人に、このことはこの人にと、何かをしたいときに誰に頼んだらいいかはっきりしていることって、結構重要だとおもう。台風の被害で折れた木の処理を頼みたいのに、誰を頼っていいのかわからないことってまあある。たったそれだけのことなのに、顔のわかる社会では迅速に復旧するだろうが、そうでない社会では遅れに遅れるだろう。それを、ネットで検索したらべらぼうな額を請求されることだってあるだろうが、数件隣のにいちゃんに頼めば、仕事終わりに寄るわといって、ものの数分で終わらせて、お代は結構、一肌脱いどくわとなる。ぼくはその心持ちでいる。

 

強い地域とは、誰が何をしているのか、生活圏で知っていること、すぐに頼めすぐに駆けつけられること、(つまり、身近にいる職能をコミュニティーに参加させる手立て)それをまとめるリーダーが必要なことだとおもおう。生活圏で誰が何をしているのか認識するための行事、たとえば、盆踊りや祭りが丁寧に扱われていることが大事なのだろう。そういう目線で見たとき、これから衰退する町はたくさん見受けられる、資金が潤沢でない限りは、時間の使い方や人間関係が大事なのだ。(それなのに、めんどくさいとかいうしょうもないいっときの感情だけであらゆることを辞める方向にもっていく、みんなを代表するわたしなんて自意識過剰なひとさえいる、もっと本を読んで知識をふやせよ、スモールワールドで生きるなよ)※悪態失礼

 

それを繋ぐための、空間(メディア)がこれから必要とされるのだとおもう。そのことについての考え方を考える空間が必要なんだと思う。いい本屋のない街には魅力がないとおもっている。

 

それにしても、おじさんたちって、危ないから離れといてといっても近づいてきたり、おのおの勝手に好きなことを言うよね。そういうのも面白いわけだけど。

 

夜、学校へ行く。通い始めて1週間、とりたてて特別なことを行なっているわけではないし、特別な技術を扱っているわけでもない。普段の生活で扱っているものを捉え直しているているだけだ。普段ものを見るときには、何層にも重なっているフィルターを使っていることに気づいていない。師範代の指南に沿って、一枚一枚取り出し、意識的にその特徴や使い方を理解し(解体や分節)、再構築する。それだけなのに、世界の見方がこんなに変わるのかと驚いている。取り出したフィルターに名前をつけることによって、輪郭を浮き彫りにし、能力を把握し、まとめ、整理整頓する。あたかも、自分専用の倉庫を作っているように。家の横の小さな倉庫からすべてがはじまるのだろう。ジョブズがそうだったように。