TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを

Everyday with playlists


9月28日

ケータイが故障たから買い換えた。以前の携帯の現行版でSIMフリー、デュアルSIM。新しいiPhoneが発売されてしばらくたつが、別段ほしいとおもわない。スマホの進化は、ディスプレイの画素数やサイズ感、プロセッサの処理速度などにとどまるのだろう。スマホのカメラはきれいだとはいえ、デジカメには敵わないのはレンズの差が大きすぎる。

小学生の頃、運動会や修学旅行などのイベントの数日後、学校の廊下に現像され番号のかかれた写真が並べられ、その中からほしい写真の番号を紙に書いて写真を購入していた。現在はスマホがその代わりをしている。

あらゆるものや産業には、発明が数回あるという。ひとつはそのものの発明だ。パソコンが普及し始めた頃には、キーボードでいかに早く打つかを競い合った。コモディティ化するにつれタイピングの早さは影を薄れ、パソコンを使ってどう問題を解決するのかのほうが重要となった。これがふたつめの発明で、使い方の発明だ。

ぼくが取り組もうとしているのはここ。木が高く売れた時代には木を売っていればよかった。いまはその時代でなくなってきたようにおもう。木を売るだけではなく(もちろんそちらのことをしながらではあるが)、そうじゃない可能性やアイデアを探している。先にもふれたように、使い方の発明にヒントがあるとおもう。あとは場所作りかな。

師匠曰わく。『どの街にもあった写真館は、デジタルカメラの普及に伴い「特別な技術を要するものではなくなった」ことから、いまでは滅多に見ることがなくなりました。
ただし、「家族写真などを撮る機会」を提供した写真館やスタジオは、いまも活況を呈しています。同じように、街の画材屋も、「絵を描く機会を提供する」ことができるかどうかに、命運がかかることになるでしょう。かつては、「学校の美術授業」にフリーライドすればビジネスとして成立していた時代でしたが、いまは自らが「美術授業」を提供する必要があります。顧客に提供するのは「画材」ではありません。「絵を描く楽しさ」で、それを提供できる「人」次第です。』

明日、ちょっと先の未来の話が聞けるかもしれないので楽しみである。