9月22日

朝からの雨は昼前にはやみ、昼過ぎには晴れて、秋分近い夕暮れはほぼ西へと沈む。仕事を終えて、伊賀上野城へと向かう。今日は薪能へ。ここ伊賀は世阿弥観阿弥の出身地なのだ。

揚げ幕をくぐって、役者がぞろぞろ現れ、橋を渡ってそれぞれの定位置へ向かい静かに座る。能面を被ったシテがそろっと歩いてくる。位置に揃ったら、ピヒューッと風の音のように笛の音が聞こえた。そのあと大鼓と小鼓が、「いよぉーっ」のかけ声と太鼓の「ぽん」の連打。

音と聞くと、バンドのギターやオーケストラをイメージするが、それは完璧にチューニングされたものを演奏している。われわれが普段聞いているのはそういう音だ。能はそうではない。

大鼓の皮は乾燥していなければいい音が出ないし、小鼓の皮は湿っていなければいい音が出ないからいけない。場所によって、日によって、気温や湿度はちがうからチューニングはその日の舞台の一番最初に合わせるという。西洋の楽器と日本の楽器の違いは、ものの考え方にも現れているのではないか。

そんな能の音から、自然に合わせてこちらを変化させて生きてきたわれわれの祖先を思い浮かべた。それは、地震や台風などの自然災害が多いこと、建築物は木や土や草でできているため燃えやすいこと、など日常での生活感覚が現れているのではないか。自然には太刀打ちできないのだから、いまは盛っていてもやがて衰える、うまくいくことなんてそうない。それがそうなら、いまに執着しすぎるのではなくて、これは壊れるものなのだから、そのあとどうするかのほうが大事なのだと説いているようだ。

一度見ただけでわかるわけがないから、つづけて能を見に行きたい。初回は大鼓と小鼓の、「いよぉーっ」「ぽん」が頭から離れない。