9月19日

日本人がこの季節を秋と名付ける前から秋は秋だった。古人が秋と名付けたのは、寒さの増す冬に備えて食欲の増える腹が空くことからか、山が明るくなるからなのか、空がぽっかりあくからなのかと想像する。こうして、秋に言葉のイメージが襲いかかる。これらを総合して秋なのだとおもうし、ここに個々の小さい秋が溶け合う。

いま、ムナーリを差し置いて、三木成夫『胎児の世界』を読んでいる。記憶や哀愁は、どうやら、かつてのわれわれが、陸上に上がり哺乳類となるもっとまえ、動物の始まりのDNAとミトコンドリアが共生しはじめたときの、進化していく中で積み重ねられた記憶が立ち上がることに起因するという。

数億年の記憶が起動することによって、秋を秋だと感じるのを知ったとき、得体のしれない感覚に襲われた。それは、見えないものを言い表すような、風の音を聞くようなものだった。