9月15日

大阪で試合のため、久しぶりに電車に乗る。出入り口付近の壁にもたれながら、車両を見渡すと、座席は埋まり、ちらほら乗客が立っている。中刷り広告には空きがある。乗客の手にはスマホが目立つ。前の座席に座っているおじさんのスマホの画面を覗くと、パズルゲームをしている。奥の席の高校生らしき女の子はツイッターに夢中のようだ。日本の休日の電車の中では、スマホが増え、紙の書籍は消えかかっている。

 

過去3年の出版物の販売市場はゆるやかに下がっているが、電子書籍の割合は増えている。ということから推察すると、電子書籍の印税が70パーセントだということを知った作家が増えてきたのだろうか、本の出版が誰でもできることを知ったひとが増えたからのだろうか、人口が減っているのだから出版物の市場が減るのは当然なのだろうか、おもしろい本がないからなのだろうか、おもしろい本を見つけられないからなのだろうか、なんてことを想像する。

 

移動時間にはスマホがあればなんとか時間をやりくりできる。その時間になにをするのかは自由なわけだ。その中で、本を読むひとはおそらく少ない。というのは、本が自分の感情に有効だということが本を読んでいる人にしかわからないこと、その本の楽しさはページネーションの妙だということ、本を手に取る動機がランキングやみんなが読んでいるからというものでなくそのひとの切望によること、そのためには自分が何者かわかっていないといけないこと、という点において結局いまもむかしも変わっていないということ。結果、本を読むひとの割合は今も昔もそんなに変わらないのだろう。電子書籍や紙の書籍どうこうの問題ではない。だからその割合を少しでも増やすことができれば、ちょっとおもしろい世の中になるんじゃないのかなと想像しながら、電車にゆられる。世の中にはたくさん面白い本がある。文の世界というのは我々の奥に潜んでいる文化のDNAなのです。