9月2日

終日ゆっくり過ごす。ここ数ヶ月、おやつは芋けんぴばかり。細めが好み。夜、昨日買った文芸誌『アルテリ』を読む。アルテリとは、職人の自主的な共同組織を意味する言葉。熊本の橙書店が発行している。今号は石牟礼道子追悼号。執筆者と石牟礼道子さんとのそれぞれの個人的な出来事が寄稿されている。石牟礼さんは亡くなられたが、彼女の魂や語りはこうして、ひとの記憶のなかで、それぞれの石牟礼道子として生き続けている。語りをやめるわけにはいかない。編集後記に、「言葉は生き続けるから、石牟礼さんは死ぬことはない」とあった。本当にそうおもう。ひとりひとりの石牟礼さんとの記憶の断片が集まりていねいに編まれている。それぞれ個人の感情は他人のものとは違うはずなのに、その感情を表現することが他人の感情を揺さぶる。そんな一冊だった。

ときを同じく読んだ寺尾紗穂さんの『「小さな声」は庶民の「狭い経験」?』が重なる。「国というのは、社会というのは、一人の人間からできている。そして一人の小さな声は決して「とるに足らないもの」ではない。一人の祈りは、往々にして、国や政治家が考えていることより、よほどまっとうで、美しいのだから。」と締めくくられている。

http://www.sahoterao.com/blog/2017/08/post-2.html

ああやっぱり、言葉で伝えるのは大事なんだな。言葉で伝えるテクニックを磨き、言葉の数を増やさなきゃ、頭に思い浮かんだことや、本を読んで見えたことや、旅先で震え上がったことや、亡くなられたひとの記憶を、うまく言葉にできないのではないか。発する言葉と、記憶や想いとの距離をかぎりなく近づけられるようになりたいと強くおもった。アルテリを読みながら、圧倒的に個々人の記憶の断片のほうが、だれもが受け入れられる一般解よりも大切なのだとおもった。