8月14日

年に数回のソロツーリング(今年のテーマはサブタイトル「シンプルに、ソロで、そのとき行動する」)から帰宅したのは朝4時。帰宅後、シャワーを浴び歯磨きを済ませ、自宅のベッドに寝転ぶ。起きたら昼が過ぎていた。

昼すぎに兄ファミリーが大阪から帰ってきた。数ヶ月毎に会う姪の成長が楽しみだ。姪を見ていると気づくことが結構ある。食卓の料理をすぐに食べないのは同じ食卓で食事をともにするのが人間のコミュニケーションにおける和平の証であること。夜に花火を怖いといったのは、もともとは火が怖いものであること。他方でその使い方を知っていれば、有用であること。危険だけど有効なものは生活にはたくさんある。そのことについて大人が理解し、方法を伝えることが教えることなのではないか。なにがよくてなにが悪いか判断できない子どもに、判断はお前に任せるというのはちゃんちゃらおかしい。主食がお菓子なんてだめに決まってるのに、大人がわかってなくちゃ、そのことを伝えられない。結局のところ、親や大人が子供にすべきことは、悪い情報から守る手段を教えること、想像力を喚起させること、そのために環境を整えることで十分なんじゃないだろうか。2歳の姪を観察しているとおもしろい。

夜、フットサルの練習へ。フットサルは20m×40mのコートの中で、5人対5人で基本的に足でボールを扱って、相手のゴールにボールを入れ、試合終了時点でゴールの数を競う。その中で、いかに戦術が大切かを最近実感している。

坪井 健太郎『新しいサッカーの教科書』に、戦術とは、「ゲーム中に起こる状況を解決するための、個人・組織による知的活動」とある。サッカーは、無秩序なスポーツであり、試合中に何が起こるかわからないため、それを現場ですぐに解決していかないといけない。その解決方法が戦術であり、戦術を理解するために言語が重要なのだ。このこと、サッカーだけでなく、実生活にもあてはまる。日常は無秩序で何が起こるかわからない。だから、言語化はぼくはこれからとても大切にしたいキーワードなのだ。言葉の意味をその成り立ちや背景から正確に理解し使うことが(日本語の中に深く潜り込む作業)、どれほど大切で有用なことかはいうまでもない。

なんべんもいうけれど、才能という言葉。才と能が違うこと。そういう見方をすれば、どういう人が才能のある人かがわかる。そういう人を先達や師匠にし、現場でマンツーマンがいまぼくの考えうる最高の教育である。

https://www.patagonia.jp/blog/2015/04/go-simple-go-solo-go-now-the-life-of-audrey-sutherland/