TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを

Everyday with playlists


8月13日

アズミ族が歩いた谷を眼下に、梓川に沿って敷かれた国道158号を車で走る。迫る谷は切り立ち、灰色の厚い雲が谷に流れ込む。川の石は硫黄の黄色。上高地が観光地として賑わっているのは伝えがつづいているからなのだ。だれかが上高地の魅力を語り、それを聞いたひとが訪れ、また語りを繰り返していく。

「自然を活かしているのは言葉なのだ。或いは歴史といってもいい。(中略)自然は、−少なくとも日本の自然は、私たちが考えている以上に人工的なものなのだ。(白洲正子『近江山河抄』より)」文字のない時代から、語りや歌で、踊りや石、建築物に記録してきた。ヒトは外部に記録媒体を持った。語りを忘れても、記憶が蘇るように、ものに記憶を埋め込んで、いつでも取り出せるようにした。「信仰の形というものは、その内容を失って、形骸と化した後も生きつづける。そして、復活する日が来るのを息をひそめて待つ。ということは、形がすべてだということができるかもしれない。(白洲正子『近江山河抄』より)」

彼らが遠くからやってきてここに住むと決めたのは、故郷(クニ)と似ているからなのだろう。古人にとって、故郷を離れるというのは非常に辛いことだった。ゆえに地名や神様もいっしょに引っ越したのだろう。「現代人はとかく物事を政治的な面でしかとらえようとしないが、まつりごとが祭事であった時代に、故郷の自然を離れることは、魂のより所を失うことを意味した。(白洲正子『近江山河抄』より)」


国道158号を走りつづけ、今回は上高地には寄らず、平湯・高山方面へ向かう。平湯でひとやすみ。一足伸ばして、奥飛騨温泉郷まで向かい湯船に浸かる。ああいい湯だ。黄泉がえる。登山客で賑わう風呂上がりの休憩所にあった雑誌『岳』のバックナンバーを手に取ったら、石川直樹さんが寄稿していた。石川さんの記事を読んで、一月に安曇野にある田淵行男記念館で見たイヌイットの写真に添えられていた文章を思い出す。イヌイットはスノーモービルでなく犬を移動手段に選ぶ。それは、経済的な問題ではなく、実用的に犬のほうが信用できるからというものだった。機械は壊れたらおしまいなのだ。すぐとなりに生死の境界のある過酷な土地に住む上で、機械より知恵のほうが信用できる。

温泉からあがって、高山へ向かう。この感じがすっきやわーとおもいながら、安曇野や高山を車で走ている。山と生活との距離感がいいからなのだとおもう。散村であったり、背後に3000メートル級の山々がそびえ立つ麓で生活をし、大木が家を囲っていたり、どの家からも煙突が出ていてに庭には薪が積まれていたり、建物は雪の重さに耐えられるように昔のものが多かったり角度が急だったりする。山の奥地での生活では、冬の寒さに対して何よりも暖を必要とする。灯油がなくなれば死んでしまう、でははなしにならない。けれど山には木がある、薪がある。雪の積もる前に冬支度を済ませておく。薪はすぐに熱エネルギーに変換され、暖を取れる。わざわざ遠い海の向こうから運んでこなくても、近くの山にエネルギーはたくさんある。自然と生活の距離感の近さやバランスの取り方に目が釘付けになる。

温泉で読んだ『岳』には、服部文祥さんの連載もあった。山に登るのを勧めるは結構だが、それと危険とは切り離せないとあった。そりゃそうだ。難しい山に行けば行くほど、死の危険は高まる。安全に楽しい登山なんて無責任な発言はどうかしている。この世はディランの歌う風に吹かれてのようであって、振り子のようであるとおもう。危険や苦労と楽しさや快楽の大きさと振り幅は比例するのだろう。風が吹いたら飛ばされるかもしれない、向こうから何かやって来るかもしれない、桶屋が儲かるかもしれない。

高山を抜け、せせらぎ街道を郡上八幡方面へ向かう。せせらぎ街道を気持ちよく車でかけてゆく。黄昏で窓を全開にしながらグッドミュージックを聞いていたからか、信号がなかったからか、すれ違う車が少なかったからなのか、とても走りやすい街道だった。郡上八幡市街に入る手前の道の駅で休憩する。いくら夕暮れどきだからといって、いくらなんでも街がなんか物静かだった。あっ。そういえば、郡上踊りが8月の間はずっと開催されていることを思い出す。さっと、スマホを取り出し、時間と場所を確認する。ただいまの時刻は19時。

郡上では、迎え盆から送り盆までの4日間のあいだ踊りは徹夜で行われる。その初日が今日。通りの交差点の真ん中に屋形が据えられ郡上節が演奏される。その屋形を中心に十字を時計回りに踊る。ぼくは通りすがりのソロストレンジャー。囃子の二拍子、下駄の打音、いたって簡素なダンスのループから生まれる、よきグルーヴに包まれ朝まで踊り明かす。地元衆も、ふらっと立ち寄ったソロストレンジャーも、音頭に合わせステップを刻みながら、曼荼羅を描くように、ダンスインザストリート。どのアーティストのライブよりぶちあがる盆踊り。今度は仲間で訪れたい(2019年の8月16日は満月なので予定に入れておく)。ループミュージックの中毒性はヤバい。春駒〜

22時ごろに祭りを抜け出し帰路へ。途中仮眠を挟み、夢うつつのまま翌朝4時に帰宅。ダンスミュージックの余韻が身体にまだ残っている。