7月26日

何かを始める前に、自己が確立しているか。

 

数年前にこの言葉を読んでずいぶん考え込んだ。「なぜ自分はそうするのかという問いかけが前提にあり、自分なりの判断で行動する。だから、だれもやらなくても、自分がいいと思ったら行動する。周りがやっているから自分もやるという日本人的な発想は、彼らにはない。」(『オーガニック革命』より)

 

はじめてなにかをはじめるとき、誰かに聞いたり、本を読んだりするでしょう。そのとき、どんな本でもいいのかというとちがう。筋トレをはじめても、正しいトレーニングをしなければ身体を壊すように。やりはじめる前に考えることと、やった先にある目的は、ガッチリ繋がっている。なぜそうするの?と聞かれたとき、自分なりの判断がそこにある。それを言葉にしたい。

 

Kickstarterを見ていると、現代のコミュニケーションの作法は、おもしろいものを自分たちで作り、それを自分たち自身で伝えること(映像化と言語化)だとおもった。Kickstarterは「こんなものを作りたい」というクリエイターたちの夢を実現するために、資金調達からプロジェクトの完成までサポートするコミュニティ作りのためのプラットフォームのこと。

 

いままでは作るだけでよかったが、これからはいいものを作り、自分で伝えなければいけない(伝えるにはストーリーと言語化とテクノロジーの理解が必要だ)。テレビでは流せない映像を作るVICEのようなコンテンツを、YoutubeとVimeoでの、スマホとパソコンの、あらゆるものの得意分野や違いを理解し、それに適した方法で伝えなくてはいけないのだから、まあたいへん。ということで、ぼくは作る、伝えるまえに、ふたつに有効な編集という技術を習得しようとおもっている。

 

https://www.kickstarter.com/projects/1535627339/oddball-the-drum-machine-crammed-in-a-ball

 

坂本龍一のインタビューを読んで痺れた。「そこで思ったのは、むしろいまの時代って、わがままに、勝手気ままに音楽をやったほうが、世界中の若い連中は耳を傾けてくれるのかなということです。マーケティングとかセールスとか、そういう余計なことを考えてつくった音楽は、全部見透かされてしまうんでしょうね。」

 

https://wired.jp/2018/06/25/ryuichi-sakamoto-the-fortress/

 

昼からの日差しが猛烈だったが、日が沈んだあとの風はひんやり涼しい。そろそろ雨がほしい。ほしいといえば、今晩はお中元にいただいたウナギ、最高。ぼくは、ウナギに目がない。

 

夜、内藤正敏・松岡正剛対談集『古代金属国家論』のつづきを読む。いつもとは違う角度から山を見る。錬丹術と山伏、山伏は呪術的集団であり、化学者集団であり、総合文化の担い手だったが権力者は彼らを単なる呪術者集団にした。古代国家において、呪術的なことも大事だったけど、もちろん生産手段も見逃せないこと。その第一は、食料。安定した穀物や炭水化物だけでなく、動物性たんぱく質の確保。ヤマトの国家の成り立ちの語り口に鮎の多い川という見方で語られる。ヤマトに対抗した、奥州藤原氏の東北曼荼羅が饒舌に語られる。平泉を訪れたい。あとがきを読めば、このときお酒が入っていたという。なるほどおもしろいわけだ。対談から自由で新たな発想が生まれる。ひとつの山がある。その山を違う角度から見るとまったく別のものが見えてくる。海を渡って日本にたどり着いた古代日本人は川を上り山のてっぺんに登った。万事は山にはじまっている。日本の面影や母型は山にある。