7月22日

10時起床。グッドウェザー。久しぶりにアラームをセットしないで起きるまで寝た。昨夜は体の温度が下がらずぐったり。今日はすべての予定をキャンセルして家で過ごす。久保田麻琴と夕焼け楽団『ハワイ・チャンプルー』を聴きながら、一ヶ月分滞っていたこの日々の記録の断片を居間で扇風機にあたりながら書く。一ヶ月前といまの間を記憶がスコールのごとくフラッシュバックする。W杯がロシアで開催、大阪で地震があって、大雨が西日本で降り続き、この一週間は毎日35度を越す猛暑日が続き、気づいたらもう7月の後半。もっとさきだとおもっていたことも、すぐにあちらからこちらにやってくる。最近出た『阿波の遊行』という名のCDに興味津々。阿波の民謡という名のパンク。世間ではブランチというのだろうが、遅めの朝飯に、昨日のカレーと小鮎の煮付けときゅうりのぬか漬けをいただきながら、これだけ暑いとスパイク・リーのDo the right thingみたいに、ひとの精神が入り乱れ、些細な事がきっかけで大惨事につながるんだろうなと思いがよぎる。そんなとき以前友人から紹介された『暇と退屈の哲学』という本のタイトルを思い出した。まだ読んでいない。ぼくは時間の使い方がとても大事だと考えている。最近より一層。数年前からそのことをずっと考えて、時間の認識を変えた。時間を作り、作った時間で何をするかを考えた。どんなひとでも1日24時間しか持っていない。そんなこと当たり前だとおもうことって忘れがちになるから肝に銘じる。時間の質はひとによって違う。だから有り余るほどのお金を持っていないなら、時間の使い方こそが人生でとても大切になる。それを意識してから(たとえば部屋の時計を外したり、テレビをやめたり)、気づけば、ぼくのすぐ近くを見回すだけでも、時間が足りなくてやりたいことができないひとが多いことに気づく。そういうひとにかぎって、顔色が悪い(食べ物のせいだろう)そして、メンタルも蝕まれて、この暑さだろう、そりゃ事件も起こる。そのとき、まずなにからはじめようか。

 

そうだな、時間を意識するには、まずは、年に数回でいいから、遠くの海や山にひとりで出かけるんだ。時間がなければ日帰りでいい。1年に一日ぐらい休みは取れるだろう。かならずひとりじゃないといけない。その日一日を自分で使うんだ。それで家に帰ったら、日常とは違う感覚を感じることができるだろう。次には、食べ物と時間についてよく考えることだ。さっきも言ったけど、どんなひとでも24時間しか持っていない。24時間の使い方を考えたら、特定少数の人としか付き合えない。人と会えば会うほど時間はなくなっていく。時間の使い方を考えることができたら、やっぱりぼくは多読を勧めたい。アリスの名なしの森のように世界は言葉でできている。世界を知りたかったら言葉を知るしかない。ぼくは世界のことを知らない。全く知らないから、知りたいんだ。ずっとそういう姿勢でありたい。僕には何人かの師匠がいるけれど、その師匠達は言語化ができる。その上で、自分ではどうしょうもない力のことを認めている。師匠は間違いなく重要だ。