7月13日

ボブ・ディランが、「理解できないなら考えなくていい、あなたに向けたものじゃないから」と言った。

やるやらないはその人次第で、その間にそびえ立つ倫理の壁はおもいのほか大きい。ポケットにGPSがあるなんて気持ち悪いと言っていた少し前では、想像もつかないほどみんなのポケットにGPSは潜り込んでいる。

車が開発された頃、イギリスでは赤旗法というのがあって、車はひとや馬より早く走ってはいけなかった。馬鹿げている。そんなことはいまでもよくある。

敬語なんてとおもっていたけど、「敬語は本来、人と人との関係を同じ距離で表す言葉」だと知ったとき、敬語の見る目が変わった。

知識はそれを知る前と後で世界を変えるものだとぼくは思っている。そんな体験を繰り返すと問題は自分の無知にあるのだと思い知る。

ぼくの師匠はテクノロジーに滅法強い。その師匠から学びつづけてしばらく経つので、テクノロジー面のぼくの倫理の壁は、相当低い。それもこれも、師匠の影響である。先達や師匠の指図は必要だと常々思う。

危険は人によって違うのに、危険の看板はそこら中にある。危険の看板を信用しすぎてはいけない。危険は自分で見極めるものだから。ディランの言うことは、わかる奴にしかわからない。