7月1日

ワールドカップ決勝トーナメント1回戦フランス・アルゼンチン戦を見届けてから、「夜明け前にはこの世ともおさらば」と、tin pan alleyのチャウチャウドッグを聴きながら、夜中に家をえいやっと出て、淡路島へ向かう。フットサルの試合がある(運営)。淡路島といえばいつもは、四国に行く途中に島の真ん中を突っ切る高速道路を車で通り過ぎる通過点に過ぎなかった。はじめて島内を走る。朝の島は車が少なく、キョロキョロしながら徐行運転。いい天気だ。

淡路島は、日本で最初に生まれた島。ヒノキやスギの人工林がないからか、照葉樹林が多いからか、島全体がなんだか古墳のよう。明石海峡大橋あたりの開発がすすんでいるエリアには椰子の木があって、イングランド村があったのだけど、ぶらぶら島を進んでいくと、能登や沖縄の離島を訪れたときに感じた忘れていた故郷を思い起こすような感覚があった。そんな折り、司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』を思い出す。これは約400年前に、朝鮮から薩摩に連れてこられた朝鮮の民の話。日本に連れられ、鹿児島で住まう場所を探し歩いていた場面で、彼らの長老が、「コノアタリ、故山二似タリ」と故郷の風景に似た苗代川に決める。そんなような感覚を淡路島で感じた。気候や風土や景色や言葉や風習や文化が故郷を忘じがたくさせ、また故郷を思い起こすOSなのだ。淡路島は天から来たイザナギとイザナミの心象風景なのかもしれない。