6月15日

雨の一日。ずっとニールヤングのafter the goldrushを聞いている。

 

勝手な思いこみが楽しさを阻害していることはよくある。そういうときに、知識があるのとないのとでは大違いだ。そういうときは、生物の仕組みや文化の方法へ立ち返るのが歴史の教えだろう。勝手な思いこみを取り払うのは難しい。過去の正しいとされていたことは遺産として残っていることだってある。変わることをポジティブに捉えて、学び続けたいものだ。変化=進化、明日は今日より成長していなくてはいけない、というのは、近代の考え方で、ダーウィン『種の起源』が捻じ曲げられて解釈されたのが広がったという。

 

松岡正剛『世界と日本の間違い』(この本は必ず読まれたし!世界が変わる瞬間に出会える)にダーウィンの話がある。「進化生物学はあくまで生物の進化にあてはまるもので、ダーウィンは社会についてそのことがあてはまるなどとは一言もいっていなかったんです」「マルクスとダーウィンを曲解していくことによって歴史は発展するという見方が、19世紀後半には猫にも杓子にも大前提になっていったということ、それについての歯止めがかからなくなったということなんです」