6月13日

ここ数週間、やりたいことがないわけでも、やる気がないわけでもない。むしろ、やりたいことはあるけれど、体がなんだか動き出さない。そんなときには、むりやりなにかしようとせず、何もしない。環境を整えて、体が動き出そうとするまで、待つに徹する。ここ数年、梅雨の時季はそうしているようにおもう。

 

宗教には大雑把に分けて、砂漠型と森林型のふたつがある。砂漠ではその瞬間瞬間に右か左か判断をしなければ死に直面する環境にあった。そこから一神教が生まれた。他方、森林では、すぐに判断しなくても死に直面することはない。むしろ安直な判断の方が危険な場合の方が多かった。あらゆる分野の専門家の意見を伺い、総合的に判断することにした。そこから多神教が生まれた。

 

そういや、本題の周りを徹底的に描くことによって、本題をより浮かびあがらせようとした司馬遼太郎のように、小さな木を四隅に植えたて、シメナワでつないだヒモロギを用意する古神道のように、微生物が発酵するための環境を整えることが第一である日本酒造りのように、がむしゃらに動くのではなく、環境を整えることにフォーカスして、体が自然と動き出すまで待つ。ここは東の果てにある海に囲まれた山国、東からの風を受けて育ったジパング。

 

梅雨が明けて、夏が来たらどこか遠くの山に行こうと思う。