6月7日

月は憑く、満月の夜にヒトは狼になり、貝は口を開く。先は咲く、好きは漉く、遊ぶは荒ぶ、森は盛る、林は生やす、春は張る、冬は殖ゆ、狩りは借りで仮だ。クシナダヒメは櫛名田とも奇稲田とも書く。クシは、櫛や珍しいというイメージを内包している。

 

雨上がりの朝はムシムシで空気が重たい。こんなにムシムシだと、考えも蒸し暑くなるのは仕方がない。そもそも砂漠型思考と、森型思考は違うのも、頷ける。蒸し暑い日は木陰でじっとしていたいものだ。山とか森のことを考えるなら、日本の文化を分母(図)に、山や森を分子(地)に置きたい。文化とは風土なのだから、やはり照葉樹林のことからはじめる。日本ではサカキなどの常緑樹を依代にした。

 

僕はこう思うけど、あなたはどう思うと尋ねたときに、世間はこう思っていると世の代表のようなことを言うひととは会話ができない。常に意識して考えていないと、「あなたはAとBとどちらが好きですか」と聞かれたときに、僕はこう思うや、僕はこれが好きだと言うのは難しい。たいてい、「AもBもどちらもいいですね」と答えてしまいがちになる。意識していないと、自分の意見は、自分が考えたことではなく、世間はこう思っていると自分が思い込んでいること=自分の考えになってしまう。ものごとの出発点を、世界から自分ではなく、自分から世界に広げるべきだとおもう。自分から生まれてこない意見なんて捨ててしまえ。そして、自分が好きなことばっかり語ろうではないか。聞きたいのはあなたの言葉なのだから。ここでいう自分のことというのは、自分がよければいいというのではない。そんなの自分勝手なだけだ。「そうではなくて、自分が基本である、ということです。」と、井上ひさし『作文教室』にある。

 

そうやって好きなことに没頭しているうちに、好きなことの半径は重なり、その瞬間、なにかが生まれるのではないだろうか。大学を卒業したての頃に友人とこれからのことを話していたとき、ぼくは「面白い人になる」と言った。ぼくは自分が面白いひとであれば、他の面白い人と会えるし、一緒に面白いことができると考えた。だから、ぼくは面白い人になろうと思ったんだった。