6月6日

ここ関西も梅雨に入った模様。昨晩からの雨は、今日も降り続く。雨の湿度に熱帯を感じたとき、ここは大陸の東の果て、東から吹きこむ風を防風林のように受けてきた島なのだと実感する。「ヒマラヤ山地の中腹あたりから東方へ、ネパール、ブータン、アッサムの一部を通って、東南アジア北部山地、雲南・貴州高地、長江流域の江南山地をへて、西南日本に至る東アジアの暖温帯には、照葉樹林帯とよばれる常緑の広葉樹林帯が広く分布している。これらの森林帯を構成する主な樹木は、常緑のカシやシイをはじめ、マテバシイやクリガシ、タブやクスノキなどで、ツバキやサザンカなども典型的な照葉樹である。いずれもその葉は、ツバキの葉のように比較的厚く表面がテカテカ光っている。そのことから照葉樹と名付けられている。」と佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』にある。この時期の植物は生き生きとして、緑が濃い。

 

夕方、細野晴臣のトロピカルダンディーを聞きながら、亀山の岡田屋本店へ調味料を買いに出かける。たまりしょうゆ、みりん、太白ごま油、黒ごま、どくだみ石鹸をカゴに入れる。ここらへんでは、ここにしか売っていない。みりんとしょうゆと酒の棚をじっくり見回していると、おばちゃんが、「この調味料ええやろ」といった。ぼくは「めちゃめちゃいいです。だからここにこさせてもらってます。どの大型スーパーにも置いてないんですよ。」と言ったら、「せやろ、娘と息子が自分らで訪ね歩いて選んだものやから。昔はどこでもあるようなものを扱っていたけど、それじゃああかんて、息子がいい出して」と。ものを売るのも買うのも、できるかぎり丁寧に作られているものを選びたいし、信頼できるものを選びたい。物語に耳を傾け、どれにしようか考えるだけで、消費社会は大きく変わる。ものには物語があって、ものは語りだす。寺田本家の極上の日本酒もここにある。

 

夜、宮本武蔵『五輪書』を読む。文中には、「拍子」と言う言葉がよくでてくる。「物事が栄える拍子と衰える拍子とを、よく見分けなければならない。」「他をよく知らなければ、自己をはっきり知ることはできない。何事を行うにも、外道というものがある。毎日、その道に励んでも、その本心が道を外れているならな、自分ではよい道だと思っても、ほんとうは、真実の道でない。真実の道をきわめないと、はじめ、すこしの心のゆがんだことが、後には大きなゆがみとなるのである。」何かを始める前に最初の一歩目をしっかり考えて方向を決めてから歩き始めるべきだとおもっている。瀬戸を渡るとき拍子を見極めること。そのためには、見ること、心で観ること、景気を見ること。景気とは、盛んか、衰えているかを見ること。それは兵法も人生も。

 

坂口恭平は現代の定家や西行なのではないか。  https://www.instagram.com/p/Bjo9cryHBVa/?utm_source=ig_share_sheet&igshid=17b512uplc15a