5月20日

試合前に、伊勢神宮へ出向く。時間がなかったため、いろいろを端折って、内宮だけ参拝。前日に4つ足の動物を食べたし、禊ぎをすませてもいないし、外宮へも行っていない。準備不足甚だしい。

 

それから試合へ。3試合もしたら体がもたない。ひさしぶりにくたくた。もう動けない。帰りに頼まれもののみりんを買いにスーパーに寄る。買い物に来ていた見知らぬ家族のお父さんが子どもに好きなものを選んで来なさいと言った。判断ができない子どもに、好きなものを選ばせる前に何が正しいのかを教えたほうがいいんじゃないかとふと思った。ということは、親が「正しいこと」をわかっていなくちゃいけない。悪い情報から身を守る方法を教えることが先決だ。教育は子どもじゃなくて実は親を教育することにあるとおもう。これから学ばなくちゃいけないことを具体的に挙げるなら、英語とコンピューター言語だという。この二つは親が知っていなくちゃ、子どもに環境を整えられない。コンピューター言語のセットアップができる親は少ない。

 

自由放任の風潮はあるし、好きなようにさせることが礼賛されているけれど、それだけではまずい。勝手気ままにやっていたら、世間はままならない。そんなとき守破離の重要性に気づく。型には守り続ければ破り離れるプロセスがあることを知っていれば、型にはまることはない。先達とは言葉や行動によってその関わりの前後で、仕事の仕方や歴史の見方、生活の仕方など、世界が変わることを伝える。そういう人が師匠である。型を守らせ、型を離れさせる先達は絶対に必要だ。

 

そうそう、食の改善をしてると、外食が難しい。スーパーには小麦粉や砂糖ばかりだ。