4月16日

松岡正剛『インタースコア』を読む。先日まで読んでいたアリスの感覚が、痛いほど分かる。言葉の曖昧さや、言葉の半径が。

 

ミレニアル世代という言葉がある。「米国で、2000年代に成人あるいは社会人になる世代。1980年代から2000年代初頭までに生まれた人をいうことが多く、ベビーブーマーの子世代にあたるY世代やデジタルネイティブと呼ばれる世代と重なる。インターネットが普及した環境で育った最初の世代で、情報リテラシーに優れ、自己中心的であるが、他者の多様な価値観を受け入れ、仲間とのつながりを大切にする傾向があるとされる」(デジタル大辞泉より)

 

おおかた当たっている。たとえると、スマホになるだろう。ソフトウェアをアップデートして対応するように世界の変化に対応していくのが得意なのだとおもう。あるシステムが破綻したときに、考え方を従来より容易に入れ替えることができる。問題を考え方を変えることで解決していく。なぜそれが可能かというと、1)受け入れることに寛容だから、2)そもそも、重いものを持っていないからという背景がある。

 

1)世界の変化が目に見えているから(あるいはそれよりも速い)、次々にOSをアップデートしなくちゃならない環境で育ってきた。パソコンやケータイはひとりにひとつだし、飛行機は数千円で乗れるもので、本や音楽や映画はネットで買ってみる。環境がそうさせたともいえる。

 

2)生まれ育った環境が、バブルを経験していない、なに不自由のない生活過ごしてきた。長男であっても実家を離れるし、お金の使い方がバブル世代の大人とは違うし、個人的には、ものを持たな以下極力少なく(石川直樹『すべての装備を知恵に置き換えること』のように)生活してきたこと。移動するには、荷物は小さく軽い方がいい。移動できなきゃ苦しくなるだろうから。

 

世界は思っている以上に知らないところで病にかかっているようにおもう。その問題に立ち向かうのは大変だけれど、希望もあって、同世代のミレニアルと呼ばれる世代の中に面白く咲きそうなタネを感じることだ。