4月7日

朝にスーザン・ソンタグの「キャンプについてのノート」のコムデギャルソンの記事を読む。ここでいうキャンプとは、「感覚の自然なあり方」よりも「不自然なもの、人工的なもの、誇張されたもの」を好む感受性、美的感覚のこと。川久保さんは、人がもつキャンプ的な意識を呼び覚ましたかったのだ。はたまた、スーザン・ソンタグは「キャンプとは、説明をしようとすればそれにまるごと裏切られるかもしれないような、名状しがたい感覚のことである。」という。

 

オーガニックや有機という言葉がやっと定着してきたけれど、それと同時にその言葉が示すことにもっと注視しなければいけないとおもっている。というのは、なぜオーガニックや有機を選ぶのかといった姿勢や考え方から生まれる行動にこそ本質があると思うからに他ならない。

 

ぼくは、昔から伝わっているものを、現在のテクノロジーで行なう、というのがバランスが取れているとおもっている。ぼくのもののみかたは、これなのだ。「オーガニック」も「人工的なもの」もうまくバランスが取れるにちがいない。神と仏が、仮名ち真名が、将軍と天皇がバランスを取れる国なのだから。