3月22日

・『ブレードランナー2049』を見ながら、松岡正剛『匠の流儀』を読んでいたように、なにかが起こったときに、そこにながれているものをみなくてはいけないのではないか。

 

・『匠の流儀』で建築家の隈研吾が言ったように、同じ道具を使うようになったときに大事なことはある。ひとことで言い切れないけどひとことでいうなら文化だ。いま世界中で音楽を作るときには、パソコンでアプリを使って打ち込んでいる。かくゆう僕も。だから、それと同時に、日本とは何かを学んでいる。

 

・動きや文化は言葉なのかも。どちらかというとコンピューター言語に近い。圧縮されたり、メタ情報がひっついていたりする。

 

・糠床はいい見立て。朝食バイキングのように自分の取り皿に小分けで入れていく。取り皿は小さいから、なにをとるのかを考えなければいけない。取りすぎると乗り切らないし、全部食べられなくて残してしまうことになる。それが分をわきまえるということなのだろう。ライトサイズでないと毎日世話できない。手が足りない。さて、糠床。バイキングとちがうのは、何かを作り出すところ。いったんそこに預けておいて、別のものにする。姿形はあまり変わらないが、中身、味はかなり変わる。生き物だから面倒をみなければ、腐るけれど。丁寧に面倒を見ればずっと生きている。お裾分けもできる。

 

・年の違う世代のひとたちとの話の中(とくに、昔はああやったという話)には、忘れられた物語や言語が潜んでいる。たとえば、師匠が大きな檜を数十年前に切って、製材に売った。その製材屋さんはその檜でかなり儲けたらしい。それからしばらくして、その製材が前に儲けさしてもうたさかい、といって次の市で贔屓に材木を買ってくれたらしい。『匠の流儀』であったな。このはなし。仕事には、効率を求めるしものと、一肌脱ごうかといったものだある。