3月18日

考えは自分が関わったひとたちによって変化するのだろうか。

 

それって当たり前でしょと言ったり、ふつうはそうだよとよく言うひとは、そのひとが関わってきたひとたちが、そういうひとばかりだからそうおもうのではないだろうか。だから、自分がやっていないことをやったことのように語ったり、みんなそう思っていると語ったりするのは、そういうひとの多くと一緒に過ごしてきた時間が多いから、あるいは、そんなわけないだろっていって、世界を放浪したり、自分で起業したり、好きなことのために会社をやめたりするひとがいないからなのではないだろうか。

 

自分がやっていないことを、語るのも聞くのもぼくは好きじゃないと、ぼくがおもっているのは、ぼくが関わってきた多くの人たちや師匠や著作が影響しているのでしょう。ぼくは、Wikipedia的なボブディランを語りたくない。myボブディランを語りたいし、yourボブディランを聞きたい。

 

なぜそう思うようになったかと言えば、間違いなく6年前にフィリピンに行ったからだ。当時フィリピンへ英語を勉強しにちょっと、なんて言えば、あんたなにいってんのと言われた。たしかに、留学といえば、アメリカやカナダやオーストラリアであって、フィリピンには、なんの根拠もないとほとんどのひとは思っていた。もちろんぼくにも根拠なんてなかった。ただ未来にわくわくしていた。根拠はそれくらいしかない。フィリピンに行ってみると、年齢も高校生や大学生、30歳前後の会社を辞めてきたひと、リタイアしたひとがいたし、肩書きもあらゆるものがごちゃごちゃしていた。そんなひとたちから、就職してから定年まで同じ会社で働くことはたくさんある物語のうちのひとつであって、世の中には別の物語があることを学んだ。年齢なんて関係なく、楽しいと思ったことを、わくわくすることを、本当に好きなことをやっていてもいいということを知った。そにためには自分が本当に好きなことを知っていなくてはいけない。そのためには自分のことを知る時間が必要だ。自分の好きなことを見つけられたら、時間の使い方が大きく変わる。仕事後に飲みに行く時間が極端に減った。ほとんどテレビは見なくなった。そんなフィリピン仲間のコウさんがうちに泊まっていた。そんな話をした。

 

コウさんは2年前に会社をやめて、オーストラリアにワーホリに行った。それでいま一時帰国中で、来月からスキューバの仕事をタイでやるという。日本の会社を辞めるときほとんどのひとに、その会社辞めるのもったいないといわれたそうだ。世間の評価はそんなもの。ちなみにフィリピン仲間はみんな好きなことをやればいいと言ったらしい。

 

おやじにいまのおまえがあるのは過去があるからやで、といわれた。そりゃそうさ。だから、じぶんのやりたいことができる世に生まれて本当に幸せだと思っているし、感謝している。けれど、そんな時代であっても、実際にやるのも、やると決めるのも、自分でしかない。ありえない。そんな時代だからこそできることはあって、それが好きなことを追いかけていくことじゃないのだろうか。食べ物に困ったこともない、戦争なんてテレビの中の出来事で、インターネットで世界と繋がれるし、1ドルが120円で推移していて、1万円あれば海外往復できる、そんな時代にぼくたちは生きている。そんな時代というけれど、そんな時代に胡座をかいているわけにはいかない。梶を握っているのは、そのひとでしかありえない。どんなグッドアドバイスがあったとしても。

 

過去は変えられない。未来は変わる。過去を変えるには、現在の見方を変えるしかない。他人の期待や評価を捨て、自分で自分の振る舞いを批評評価すること。フィリピンで未来の旅人たちと語り明かした夜を思い出す。