3月14日

車の窓を開けて走るのが気持ちいい。引き続き、松岡正剛『擬』を読む。

 

ここ数ヶ月アウトプットとインプットのバランスが偏っている。インプットが多め。あるときどういうふうに情報を集めるのかというインタビューを読んだら、いい情報を発信したら、情報が集まってくるとあった。確かにそう思う。最近はオフラインで友人との再会が多い。わざわざうちまで来てくれる。今週の金曜日にも友人が来訪予定。

 

世の姿や世のシステムはよくわからない。にもかかわらず、わかった気になっている。だから、おもっていることじゃないことをすることが、いまほしいものを手に入れる最善なことはよくある。想像力を養うために情報を仕入れるのではなく情報を減らしたり、情報収集のために情報を集めるのではなく発信したり。

 

長期計画で多読を進めてきて、最近やっていてよかったなとおもった。というのは、ひとつには、まとまった時間があるときにしかできないから。そのときに読書を選べたこと。本を手に入れるのはそれほど難しくない時代。それよりも読書をするための時間を割くのと、どんな本を読むのかを選ぶほうが難しい。お金のあるなしは別にして、読書は時間がないとできない。もうひとつは、発信するのに、発信の書式のようなものが見つけられそうだから。それを見つけて鍛えていけば、なににだって転用可能なことが分かってきた。その書式というのは、生まれに基づいたものであり、育ちに基づいたものである。ようするに困ったときに、立ち返る場所だ。それを方法と読んだり、編集と呼んだり、偏りと呼んだり、数奇と呼んだりする。

 

まあまんまと読書の迷宮に迷い込んだだけなのかもしれない。ラッキーだったのは、迷ったさきで、たまたまアリアドネの糸を見つけた。そんな感じ。