3月12日

『擬』のつづきを読む。背景を知らずに語るほど、失礼なことはない。誰がなんて言ったって、ぼくとひととの、ぼくと文化の一次情報を大切にせねば。ここには、そういうことを書いていきたい。

 

カメラが空を飛ぶと、5年前に言ったひとが、テレビが空を飛ぶと2年前に言った。ああなるほど。ものの見方が違う。同じものを見ているのに、こういう見方があるのか。テレビのディスプレイは小さな電気の集合体で、解像度というのはその電気の数だから、小さなドローンにLEDライトを持たせて、ドローンを同期させて、信号を送ると空飛ぶ画面になる。なるほどそういうことか。テクノロジーは使い方だ。その使い方はセンスだ。やっぱり見立てが大事だ。そのひとは最近、がんを治した。

 

昨日、兄家族が帰ってきた。2歳の姪が、雛人形を見て、この子男の子といった。なにをみて、男の子とおもったのだろう。ウグイスが鳴いて春だとおもった。姿勢のいいひとのフィギュアが頭に残っている。面影。バックミンスターフラーは、建築家といわれ、思想家ともいわれ、発明家でもある。一貫しているのは彼には彼の編集方法があって、編集方法はあらゆるものに組み替え可能なのだ。