3月8日

雨で休み。ひさしぶりに家でゆっくりする。ぼくは多読が非常に重要だなとおもっている。本を読むことは知識をインストールすることだと思っていたけど、最近は世界が着ている服を脱がすのも読書だと思っている。いったん脱がした服を、全部並べて、再編集するのも読書なのだろうとおもう。その兆候が最近見えてきて、それの正体は、見立てなのではないのかとおもっている。ぼくは本を読みながら、内容より方法をインストールしようとしていて、それは見立て方だ。見立てとは、言ってしまえば、自由な発想の入れ替えや連想のこと。いま正剛さんの『擬』を読んでいる。読書は共読していくと加速するとある。まさしくそうだ。読書でインストールしたものを、談合することで、連想も加速するともおもう。

 

世は服を着ている。というのは、僕たちと同じだ。家でゆっくりするときの服装、友人とラーメンを食べに行くときの服装、雪山の服装、結婚式の服装。雨が降って着たからカッパを着るかもしれない。暑いからシャツ一枚かもしれない。会う人や状況によって服装を変えるように、世界は色々な服を着ているし、土地によってその色合いや模様は異なる。

 

夜、激しい雨が降る。これみよがしに、音量を上げる。Norah Jonesの Peaceを聞く。彼女はこそっとLittle Williesでバンドをやったり、Green Dayのビリー・ジョー・アームストロングとカバーアルバムを出したり、いろいろやっているけど、Come Away With Meやfeels like homeのようなジャジーなノラがいちばんいい。寒い日の夜はなおさらいいし、そこに雨が降っていたらこれ以上ない。