2月6日

家を出たら、朝日が目に飛び込む。いつのまにか夜が明けるのが早くなった。

 

瀬戸内寂聴さん、梅原猛さん、それぞれの古事記についての個人的体験記を昨日読んだ。おもしろい。簡単に言葉で言い表せない感覚が古事記には含まれている。それは日本の深層にある土着のものとでもいうのか。日本で育ったぼくたちにはいつのまにかそれを感じ取る装置が作られていて、ある条件(たとえば春の生暖かい雨の夜や、胸をつく秋の風)が整ったときに、その感覚は発現する。気持ちのようなもの。プロトタイプ。

 

二人の話がおもしろいのは、「わたし」の古事記を語っているから。井上ひさしさんもそういってた。今ごろになって読書感想文の大切さに気付くのだ。まあ当時は、読書感想文は、要約するものと思ってたから、そりゃ嫌いになる。こんなに自由に書いていいもんだなんておもっていなかった。だって、古事記のことについて語るのに、古事記の内容をほとんど語らないで、自分の体験を語ることによって、古事記を魅力的に語っているのだから。やはり、「わたし」の古事記を書いているからおもしろいのだろう。それが、おもしろい文章のコツなのだと大人になってからわかったなんて。そう考えると、読書感想文は悪くない。なぜするのか、どう書くのか、その楽しさを教えられていないだけのようにおもう。おもしろいものって、だいたい個人の体験記だ。一緒の本を読んだって、その感じ方はひとによって違うからという当たり前のことによるものなのだ。ぼくがほぼ毎日書き続けているこの日記がおもしろいかどうかは、ぼく個人のその日にあったできごとをぼくが感じたままに書いているかどうかによるということだ。そして、その記録の集積がなにかになるのではないかと、おもっているから書き続けている。