2月5日

まだまだ寒いのだけれど、朝の光はずいぶんと柔らかい。今日は思考がぐるぐる巡る。

 

風が吹いたら桶屋は儲かるというけれど、ぼくはそんなふうなでたらめな関係を切り捨てたくはない。拾い上げたい。必要、不必要を求めてばかりでは、息がきれる。だから、それにはなんの意味があるのと、効率ばかり求めることと、桶屋が儲かる的でたらめとのバランスをうまく取りたい。でたらめを歓迎しようではないか。

 

過剰な時代はもうとっくに過ぎたけれど、過剰な時代のマインイセットはまだ残っている。時代感覚は音楽によく現れるという。だから、ミニマルが生まれて、それから、地域性や土着とつながってリズムを作る。ジェームズ・ジェマーソンのベースラインや、沖縄っぽさを作るリズムは、ズレからできている。ぼくが感じていることのひとつに、問題の解決の仕方がある。現在主流の解決方法は、なにかを買い足せばいいやって考えだとおもう。そりゃ簡単だし、あまり考えなくても解決できるだろう。なぜか?マインドセットが過剰だから。時代に合わせてOSをアップデートしなけりゃいけないけど、それはいまのスマホでもそうなのだけど、自分の手でアップデートするしかない。ぼくはこれから、あるものでブリコラージュ的に問題を解決していく時代がくる気がしてならない。たとえば冬に冷え込む地域では、電気だけじゃどうしても非力だから、石油や薪を併用するだろう。なぜなら、熱効率がいいから。熱がないと死んでしまう。生きていくのにそうでないといけないから。もっと生活を、自分の生活を見つめて、考えること。やっぱりこれに限る。木の家は好きだけど、家を木材で建てようって言っているだけではだめな気がする。昨日書いた石川直樹さんの言葉が頭から離れない。「スノーモービルはこわれたらおしまいだろ、いぬぞりのほうが信頼できる」

 

本を読むのは、好奇心を追いかけるのは、自分が無知だとわかっているから。 自分が無知だということを恥ずかしがっていないから、わからないことをどんどん聞く。聞くはそのときの恥とはよく言ったものだ。昨日買った串田孫一『考えるということ』にこうあった「私は何も知らない、知っても仕方ない、どうせ本当のことは分からないのだから、知ろうとするのは愚かだ、ということではないのです。寧ろそれとは逆で、私たちはいろいろのことを知っているつもりでも、それは誤っているかも知れないし、また極く僅かのことしか知っていないのだから、謙虚な気持ちになって、正しい知識を自分のものにしようという意味になると思います。」自分のアイデンティティについて考えてきたけど、日本人としてのアイデンティティを放ったらかしにしていてそれを知りたいとおもっているのはそういうことだとおもう。

 

Lianne La Havas / Say a Little Prayer