1月30日

ヨシカワは城を訪れるとき、先発で突撃する足軽になって、どう攻略するかという目線でみるといった。見立てる。自由な見立てが大事だ。見立てを連想していく。重ねていく。連ねていく。ぼくは城を山と見立てる。

 

たくさん本を読んでいるのは、いい本がめちゃめちゃおもしろいから。世の中には、いい本も、そうでない本もあるから、その本がいいかどうかは読んでみなくてはわからない。だからたくさん読まなければいけない。それに難しいのは、時期がある、読期や旬読がある。いま読んでもいいとは限らない。本にあるのか、自分にあるのかわからないが、たしかにタイミングがある。ぼくにとっていい本は、考え方が変わる本だ。そもそも考え方なんてだれにも教わっていない。というより、無意識のうちにあらゆるものの影響を受けてきたとおもう。それだったら、考えてきたというより、流れているものを拾ってきた感覚に近い。だから、ぼくにとって本はもっと能動的だ。いままでぼくを作ってきた考えと、本の内容を横並べにして、あることがらについて議論をかわしていく。そうすると、あることがらについて、なにも背景を知らずに、ぼくはいろんなことを考えていたことに気付く。それじゃいけない。なぜなら、何も考えずに身につけてきたものは、ときに、人を傷つけ、己を陥れるほどに危ないものとなりうるから。「ダーウィンの進化論はあくまで生物学だけの話で、それを勝手に文化や現在も進化しなければいけないとは言っていない」「世の初めから隠されていること」「物語が生まれ、宗教が生まれたときのこと」などなどを読んだとき、うぉぉておもった。そんな本を紹介しようとおもっている。だって、一瞬で世界の見方が変わるのだから。

 

『花鳥風月の科学』を読了。最終章は月。外を見れば、満月に近い月が輝いている。あとがきには、「われわれ自身が自分の歴史をふりかえってみるしかないのです。」とあった。