1月28日

朝5時30分起床。昨日の猪鍋の残りで雑炊を作る。煮詰めた猪鍋は絶品。6時30分前に家を出る。気温は-6度、天気はくもり、路面は凍結。ネットラジオでIBIZA Grobal Radioを聞く。スペインは深夜。BPM高めの曲につられ、ぼくの心拍も徐々にあがる。8時に奥伊吹スキー場に着く。オープンと同時にリフトに乗り込む。日曜日のこの時間はほとんどひとがいないから最高だ。ひとがなだれ込んでくる前の10時過ぎには、車に乗りこんで帰路につく。おそらく15年ぶりにスキーをした。幼少の頃の記憶が湧き上がる。スキーのほうは体が覚えていたから勝手に体が動く。体の動きも記憶装置なのだろう。

 

家に帰って、つづきの『花鳥風月の科学』。花の章と仏の章。やばい。古代の日本人は花が咲く春という季節をいちばん大切にしてきた。冬は、自然や生命の魂がふえるという意味の殖ゆからきている。その冬からエネルギーが満ちて、つぼみが張ってくると張るの季節、春になる。いろは歌は、色葉。言葉は言の葉。いろは歌の最後、「あさきゆめみし」でなく、「あさきゆめみじ」です。意味がかなり変わります。小野小町の花から、世阿弥の時分の花を通って、義経の鼻から、西行の花へ。仏のことも知らないことが多すぎる。なのに、勝手なイメージを持っていることに気づく。ブッダにミルクをあげた女の子がスジャータ。残すは、時、夢、月の章。

 

花の章より。「スポータもつぼみという意味で、やはりエネルギーが充満している状態をあらわしている。そのスポータから『スポーツ』という英語は派生する。したがって本来のスポーツという言葉にはもともと『エネルギーが裂ける』というイメージがあるわけです。」

 

久しぶりのスキーで下半身に力が入っていた。そうそうと、あのころの感じを思い出す。夢中でただ滑っていた。Stuben Magazineにはこうある。「スキーとは、ただ競技にいい成績をあげるなどということではなく自由な自然の山地を滑り、日常の仕事や疲れを回復し心のわだかまりを取り去ることにある。ただもとに復するのではなく、身体を鍛え精神的にも抵抗力を高めることにある。このために技術を習得し、回転を極めるのだ。」