1月21日

スポーツやら将棋やら、なんでも10代の選手が活躍している。幼い頃からなにかをはじめると感覚が磨かれるのは必然だろう。それは、スポーツに限らず、語学でもなんでもそうで、感覚が鋭い頃の教育はそのひとの将来に大きく影響する。と、おもいながら、ぼくはもうそんなこともいってられない年齢に差し掛かるとおもって、世阿弥、時分の花を思い出す。

 

夕方、そういえば、明日から天気が悪いなとおもって、山へ水を汲みに行く。約一時間のドライブ。カーラジオから、ピーター・バラカンの声が聞こえる。トム・ペティの死因は鎮痛剤の過剰摂取だという。(プリンスも鎮痛剤の過剰摂取)トム・ペティには慢性的な身体の痛みがあったそうだ。やはり健康でなくてはいけない。健康であれば考えもrightだ。rightな考えは、rightな行動になるとおもっている。世があまりよくないと感じたり、顔色の悪いひとをよく見るのは、食べものが悪いとおもっているのだけど、まんざらでもない。ただそこを変えていくには、ぼくには少々難しいから、こうやって、日記に残しているわけです。で、ちゃんとした食べ物について考えること、それを実践することは、いまからでも始められる。なにか変わりたいなら、どこかへ行くより、髪の毛を切るより、パンクミュージックを聴くより、食べ物を見直すことが簡単だし、1週間もあれば効果が現れるだろう。健康に留意したい。

 

そうそう、変わると言えば、以前から、変化=進化に疑問を思っていたのだけど、最近、解決したいうか、違う視点を得た。変化=進化という考えが、当たり前になっていたから疑っていなかったのだけど、どうやらこれ、疑うべき事象のようだ。ダーウィンの進化論の流れで、(ダーウィンはそんなこと言っていないのに)、スペンサーによって拡大解釈され、それはあるとき、歴史や文化にも当てはめられ、それはいまのぼくたちの考えに浸透している。が、よくよく考えてみると、季節は変化するけれど、ぐるぐる回っているのだ。進化はしていない。これを疑問に思ったのは、音楽を聴いてるときに、数十年前の曲なのに、新しく感じたることがあったからだ。

 

水を汲んで帰路につく。FIGHT IT TO THE TOP / MICHAEL PROPHETをピーター・バラカンが選んだ。2週間に一度のドライブコースは現代の遍路のようなものだろう。昔なら歩きだっただろうが、それが車に取って代わっただけである。テクノロジーは進化しても、方法は変わっていない。一時的な世界からの逃避(帰ってくる前提の)は、かなり効く。頭のぐちゃぐちゃが整理される。だって、古事記のイザナギは黄泉の国から帰ってきて、アマテラス、スサノオ、ツクヨミを生んだのだから。しかも、イザナギは男。出産ではなく禊から。それも目や鼻から。日本という方法は、いまも昔も変わっていない。そう、生むのはアイデア。