12月16日

「なんのためにやってんの?」「意味あんの?」と聞かれるとよく聞かれる。

 

意味のあるとおもうことばかりやるのは寂しい。いや、やっていることに意味ばかり問うのは悲しい。あるいは、意味があるとするなら楽しいからだけじゃだめですか。先を見て意味があるかわかっていたら、意味のあることばかりやっているのかもしれないけど、それがわからないから、好奇心を目印にしている。そのうち意味は生まれてくると信じている。ジョブズは、未来を見て点を繋げることはできないが、振り返ってみると点は繋がっていたという。そうおもうだけで、カルマから解放される。

 

すこし前の鈴木敏夫さんの話のように、やることに意味を求めてばかりだと息苦しい。A=Bだと断定することや、失敗や予想外を許容できないようになったのはインターネットの影響なのか。Googleの検索窓に打ち込んだら答えがわかるとおもっているのだろうか。インターネットはコピー・ペーストで、その内側は、0と1の羅列によるの完コピ。そこに余白はない。コンピューターのソフトやアルゴリズムでは、エラーは例外ですとひとまとめに処理される。

 

たくさん本を読んで、いろんなひとの話を聞いて、自分の経験を振り返ってみる。エラー、コピーミス、余白、隙間。元をたどれば、遺伝子のコピーミスが多様性を作った。意味のない(とおもわれる)ことに、意味があるというのがアイロニックで、逆説的だから世界はおもしろい。いま一番ホットな場所は、リアルワールドの圏外や道草なのだとおもう。