11月24日

知恵とはなんだろうか。石川直樹『すべての知識を知恵に置き換えること』を思い浮かべた。素人が道具を使ってやることを、達人はなにも使わずにやる。素人が二手間三手間かけることを、達人は一手間でやる。


知恵はどうしたら手に入るのだろうか。達人と素人との違いは、考え方と経験なんじゃないのか。同じ条件に、両人を放り込んだときに違うことを考えると、ソフトウェアしか思い浮かばない。経験とは自分の中のキャビネットにしまい込んだ断片的な記憶(村上春樹風)だとおもう。


状況が刻一刻と変わるときには、そのときどきで自分で判断して、即座に行動を変えることでしか対応できない。状況が変わっているのに、そのままおなじことをずっとやり続けるというのもひとつの判断ではあるが。

たとえば、ペペロンチーノを作るとする。パスタを茹でながら、ソースを作る。パスタの茹で時間を計算しながら、みじん切りにしたニンニクと輪切りにした鷹の爪をたっぷりのオリーブオイルで炒めたら、茹であがったパスタの水を切って、フライパンで絡める。だけど、パスタを茹でているときに玄関にお客さんが来たら?途中でガスが切れたら?ペペロンチーノのパスタはどんなものにするの?量は?盛り付けする皿は?

なんて、状況は刻一刻と変わる。考えたらきりがないくらい考えることがあるのだから、そのときどきで自分の頭で考えるしかない。が、ぼくはおもうのは、即座に動ける人とそうでない人との圧倒的な違いは、そういう状況になる前に、準備が整っていることだ。


さて、教えるというのは難しい。やり方を全部口で言うことはできるし、やって見せることもできるし、何かをやる前にあれをしろこれをしろも言えるのだけれど、ぼくはそれを言いたくはない。それは、自分の頭で考えて行動しなければいけないとおもっているからだし、シチュエーションが一挙手一投足、刻一刻と変わるから、そのときに正しくてもすでに遅いことが多いから。それにあれはああだ、これはこうだなんて、決まっていることなんてつまらない。

だけど最近あったのは、教えられるひとは、なんでわかっててそれを言わないんだとも、なんで教えてくれないのともおもっている。口では伝わらないことがあって、そういうことって自分でやるしかない。いくら人の話を聞いても、いくら本に感化されても、結局のところ行動に移すのは、自分自身でしかない。そのことは忘れないようにしたい。やってみること、ミスを恐れないこと、自分の頭で考えてやってみて、怒られること。そうやってしか、盗めない賢者の知恵がある。