TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを


11月11日

『謎床』を読みおえる。

ぼくがずっとそうじゃないのかとおもっていたことを、二人は口にしていてた。やはりそう考えているひともいたんだということに喜んだ。さらにふたりは話を進め、正剛さんはさらなる思考を、ドミニク・チェンさんは、そういった思考を伴ったシステムを実装することに繋げている。繋げようとしている。さながら糠床に野菜を入れておいしい漬け物にするように。ふたりの会話を謎床にいれる。

ぼくはというと、ぼくもそうしたいなとおもっている。ぼくの思考と相似なものを列挙しておく。メモ書きとして。

「ある人にとっての情報の価値はその情報との出会い方にも拠るという経路依存の問題です。それより問題は、そうやってアクセスした情報、つまり、ほとんど何ら身体的負荷、精神的負荷をかけずにスルスル入手した情報というものを、人は非常に粗雑に扱ってしまう。」

「意識が脳をだましているんですね。そうだとすると、身体と意識のあらゆる近似エラーの中で私たちは生きているといってもいいくらいです。でも、その状態にあることが、知や情報の創発性にとって欠かせないことなんです。」

「万葉時代に雪と書いてあるのは、全体の雪ではないし、花と書いてあるのは全体の花ではないし、月というのはあの本当の月ではなくて、寄物陳思されて、手元に引き寄せられた月なんです。」

「そもそも寄物陳思は物(オブジェクト)に関心をもって注意のカーソルがそこへ向かうということに始まります。しかし、その『物』は辞書的に見えているだけではない。心や思いでも見ているので、『散りかけた桜』は『別れた人』に、『雨の屋根瓦』は『昔日の寺』にもなりえます。」

「九鬼の言う『いき』は、期待はずれや異質を自分がつかんでしまったというはかない気持ちが、次の充実の胚胎であり、萌芽であるということを示しています。」

「ある制約から文化が生まれてくる、ということですね。」「制約、限界、失敗。そうしたものが転んで何かに変じていく。そこに創発性がひそむと思うんですね。」

「生きたものとして言葉を使って、聞く。誰が言ったことか、何を言ったかではなくて、どのようなプロセスを経て、その言葉がその場に出てきたのか、ということ自体を共有するような文化が待望されますね。」

「たんに多様な人種がいると知ることよりも、それぞれがそれぞれに接して感じた中に『教え』や『学び』が付随しているということ、そのようにして学んでいく方法があるということがもっと重要なんです。インストラクションにおいて、師あるいはプロフェッショナルが必要かどうかという話ですが、私はそれは必要だと思います。目利きや先達は絶対に必要です。」

以上、『謎床』より。どうです?素敵でしょ。