10月17日

長い雨がやんだ。

なにかと理由をつけたり、論理的にものごとを考えた結果、正しいから、行動を起こすということが多くなっていて、なんだか息苦しい。「A=B B=C A=C」のように、それが唯一の正解で、正しいからやっていますなんて、もちろんそう考えたほうがよい場面もあるが、少々そちらに偏りすぎている。「A=BとB=C」の間に、栞を挟んで、別の読みかけの本の続きを読むことだってある。意味が分からない?そうです、意味が分からないことに意味があることだってありうる。

論理的な考えと、何の脈絡もないことの連打による考えは相反するものではない。ぼくが勝手に対決させていただけだ。前者の考えをして、後者を駆逐してしまう弊害は計り知れない。神話や物語や話を必要としなくなった現代のように。

なにがいいたいかというと、レイモンド・カーヴァー『大聖堂』の「ささやかだけれど、役に立つこと」には、論理なんて感じないけれど、あのじわーっとくる読後感があって、それはものすごく大切な感覚だということ。秋の夜の冷たい雨もあいまって。


Nina simone / 22nd century