10月15日

大阪で試合のため、久しぶりに電車に乗る。

京都三条大橋のスタバに寄って、スターバックス・リザーブの東ティモールのピーベリーをのむ。スタバは数年ぶりだが、これを飲むためにだけ寄った。豆を選りすぐり、丁寧にお湯の温度を測り、特別な機械で(おそらくスタバの店員でもこの機械を使えるのは店舗に数人)コーヒー抽出する。これはうまい!やはり、コーヒーは圧力ですね。待っていたら、「コーヒーお好きなんですね」といわれる。

電車でぼけーっとしてたら、ハードがソフトに与える影響があたまを駆け巡る。

ひとの考えを変えたければ、ハードウェアを変えればいい。ハードウェアを変えるのは、テクノロジーだとおもう。

音楽のブームがインターネットによってテクノのミニマルになったように。テレビ番組がスマホでどこでもみれるようになったように。LCCで飛行機が気軽に乗れるようになったように。

5年前にシンガポールの友人の家に2週間泊めてもらったときのことを思い出す。各自自分の部屋を持っているが、それぞれの部屋に行くには、必ず誰かしらいる広いリビングを通らなくてはならない。いいことがあったときも、いやなことがあったときも、友人が来るときも。嫌でも、そのときに、表情をみる。そのひとの感情を知る。そうやって、無意識でも、ひとが毎日会って目と目が合えば人間関係は濃密になると、おもう。間取りがひとの関係を作っていることをこのとき肌で感じた。ハードとソフトの関係。

ひと個人個人の考え方、いやもっというなら、文化などのソフトウェアは。ハードウェアの轍を走っているのではないだろうか。

 

「ある」から「ない」を作り出せばいい。
「ない」ならないで工夫する。ブリコラージュする。ぼくたちはブリコルールなのだから。

 

テレビがなければ時間をほかのことに使う、近くに病院がなければ病気にならないように日頃から気をつける、ゴミ箱がなければゴミを出さないようにする、電灯がなければ暗くなったら寝て早起きする。そういうことなのかもしれない。