8月19日

最近よく、星野道夫「旅をする木」にある「ワスレナグサ」を思い出す。「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」

日本ではあらゆるものがうつろいでいく。常なるものはない。それを伝えにゃならぬと、彼らは考え抜いた。童謡の「カナリア」や「シャボン玉」もそうだ。「無常」「常ならむ」を、伝えようとしているのではないか。


問題を解決する方法はいろいろある。その中で、ぼくは価値観や考え方を変えることが、最もいい方法なんじゃないかとおもっている。価値観や考え方を学ぶのに、本は最適だ。気になる本をひたすら読む。圧倒的な量から生まれる質は嘘をつかない。ゴッホが毎日絵を描いたように。

今日もずっとJoni Mitchellばかり聴いている。最初のうち、彼女の歌の聴き心地はよくなかった。それでもしばらく聴いていると、ハミングや彼女の独特な歌い方、息づかいに惹かれていく。おそらくぼくはクセの強いものや、異質を感じたものに惹かれていくようだ。息づかいなんて、直接歌についてくるものじゃなくって、そのひとが歌うのに必要なことなだけなのだが、そんなことやものに惹かれていく。Perfect inperfectionなるものに。