6月25日

松岡正剛「日本という方法」を読む。松岡正剛さん、鋭すぎます。昨年は半藤一利「昭和史」を読みました。さきの大戦が起こる少し前から、僕がちょうど生まれたころまでに起こった出来事をはじめて詳しく知りました。このあたりは、教科書には載っていなません。そもそもなにが起こったのかだけでなく、それが起こった因果と背景、そこから学ばなければいけないことを知る手がかりとなりました。

 

今年は、じゃあそういうふうに考えるようになったのはなぜなのか、ということを知りたいとおもいはじめました。そもそものきっかけは、日本人とは何か(山本七平の本のタイトルと同じですね)と聞かれて、なにもこたえられなかったことにはじまります。恥ずかしながら仮名は日本人が作った言葉だと知りました。いろいろあって、たどり着いたのが、松岡正剛「日本という方法」です。いまちょうど半分ほど読み終えました。松岡正剛、鋭いっっっっっ!

 

昨年に引き続いてこの時期に、日本についての本を読んでいます。ぼくにとって、この時期に読む日本についての本は、梅雨の田植えや梅しごとと同じように、このときを逃してしまうと翌年まで待たねばならない季節仕事のようです。長雨ですっきり晴れない日が続きますが、もうすぐ夏がやってきます。

 

そうそう、本著にはこうあります。「まず、空洞のようなウツがある。そこには何もない。少なくともそう感じられる。そこから何かの折にウツロイが出てくる。そのウツロイを追っていくと、どこかからかウツツになっているのです。非現実のウツはウツロイをへて現実のウツツになっていくのです。」うぉお、鋭い!

 

タイトルを変えました。正剛さんにインスパイアされてしまいました。鋭いっ!