6月21日

素材業を営むひとたちが、加工する人たち(最終商品として売る)の作っているものを愛せるかどうかって、ものすごく大事だとおもう。鹿肉を卸しているパン屋さんのパンを食べたときにそう感じた。ここのパンを食べるとほかのパンが食べられなくなりますと、ぼくがここを紹介するときには、そういうだろう。

 

冷蔵庫がいらない(小さいくていい)のは、すぐに食材を使うから。野菜はとれたてが美味しい。ということは、家から近くで育てられたものがベストだ。

 

宮本常一「忘れ去られた日本人」をすこし、つまみ食いをするようにひとつの章だけ読む。忘れ去られた日本人というのは、語りの中の日本人のこと(本などに登場しないし、記録されていない)で、よろしく、忘れ去られた〇〇という文脈はおもしろい。レシピにのっていない語り継がれた料理とか。僕が宮本さんの本が好きだとおもうのは、フィールドワークを通して、日本各地のひとが語ったことを語っているから。歴史の教科書にない日本の歴史だから。真実はひとつなのだろうけど、多面的なのだとおもう。

 

昔の家は、台所が北向きにある。これは、冷蔵庫がなかったからで、食べ物の保存は暑さとのたたかいだったからだ。いまの家は、台所が南向きの日の入る場所にある。暑さなんて電気で解決だそうです

 

明るさを、生活の時間として使っていた、昔の日本人の感覚を思い出して見るのはいかがだろうか。 かといって、不便な暮らしを礼賛するわけではなくて、正しくは、じぶんの、じぶんたちのことをじぶんが、じぶんたちがわかることにある。