6月6日

ぼくは、真の動機は深い自問自答からうまれるとおもう。動機とは、「人が心を決めたり、行動を起こしたりする直接の心的原因のこと」とwikipediaにある。そもそも考え方はひとに教えられるものではない。(知らぬ間に身に沁みるように半ば強制させられていることは多々あるが、それに気付きさえすれば、ぼくは教えられるものではないとおもう。)かつてのAppleのPVには、「クレージーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に 丸い杭を打ちこむように、物事をまるで違う目で見る人たち。」

やりたいとか、どこかに行きたいとおもったら、まずやってみるし、行ってみる。トライアンドエラーを繰り返しながら、実際から学ぶのが王道なのは誰もが知っている、忘れているだけで。やりながらだと失敗はつきものだ。失敗は失敗だけど、失敗しなければ成功しないのだから、失敗は積極的にするほうがいいと、心でわかっていると、思いっきり踏み込める、死なない程度に。かつて自転車に乗れるようになったときのように。(これも様式のひとつだ!)失敗との向き合いかたを忘れているだけだ。

ぼくは、ぼくのわがままで偏った話しを聞いてくれるひとを動機づけすることができる。