5月10日

気がつけば、窓は空いているし、蛙の声が聞こえる。ストーブは扇風機に変わったし、足元は裸で、雨は暖かい。

言葉は、その成り立ちから、その国の土着の文化を含んでいる。精神性を含んでいる。心を含んでいる。

動物の歯を見れば、その動物の食べるべきものがわかる。キリンは草を食べるし、ライオンは肉を食べる。そう考えると、臼歯の多いヒトにとっては、雑穀がよく、その中で日本人にとっては、玄米がいい。結果としてあらわれるのは、便のキレのヨサだ、もうすこし、かっこよく言うと、インプットがよければ、アウトプットもいい。野生動物はトイレットペーパーを使わない。今日は食べもののことじゃなくて、ことばについて。

食べものの例のように考えてみる。日本人にとってインプットとして大事なのは、日本語の語感だ。ことばが文化の結晶であるのだとしたら、日本語を理解することではじめて、日本の文化、こういうとおかたくなるから、いいかえると、日本で暮らす日本人的感覚が発見できるのではないだろうか。そして、それを発見してこそ、いま世界で流行りの、グローバリズムへのカウンターカルチャーのような気がする、いやそんなのはいいや、これからもっと楽しくなる気がする。楽しさというのは、色眼鏡のこと。

訳あって、一旦、日本語の本を少しの間、閉じようとおもう。すぐ再開するけど、今週は猪谷六合雄の「雪に生きる」を読む。ちなみに、いがやくにお、と読む。東京で僕が探していた本だ。