4月21日
熊本城の石垣の話をする。どうやら大津の穴太衆が関わっているようだ。穴太衆は石垣職人集団で、大阪城からなにから当時のめぼしい城の石垣はほとんどが彼らによるものだった。独特の、あらい石のつき方でかなり丈夫なものをつくった。
それで、彼らの技術は、口伝だったようだ。というのも、こればっかりは、紙に書いて説明することができない。
バックミンスター・フラーは言った。関連する仕事場や工場でしばらく働いて、「図面化できないノウハウ」や「記号化されない情報系」を、道具の使い方を通じてその達人や職人、そして、彼らがいる環境から直接学ばなければならない。
とまあ、最近つくづく図面化できないノウハウに対峙しているわけです。そこを身に付けたら、アイデア勝負だとおもっている。
レヴィ・ストロースのいうブリコラージュであり、村上春樹のいう「イマジネーションとは有効に組み合わされた脈略のない記憶」であり、松岡正剛のいう「思考や表現の本質はアナロジーであり、連想である」を信じることができれば、怖いものはない。
ということは、人生は、あるいは、目に見えないものを信じるには、あらかじめ設計図を書いて、その通りに進めていくものではなくて、なにに使えるかわからないものを収集して、そのときどきでそれらをうまく組み合わせて作っていくものだとおもうことなんじゃないだろうか。
そのなにに使えるかわからないものは、自分の好きなものだったり、興味のあるものだったりする。
そうそう、本を読めば読むほど、見えないものを信じることができるようになってきたし、ひととのはなすことが楽しくなってきたし、どこかへ出かけるのも楽しくなってきた。