4月4日

夜、Grateful deadを聞きながら、練習へ向かう。車の窓を開けて、新芽の匂いのする風を、車内に取り込む。春の夜が好きだ。

 

ひととの出会いには、出会いかたがある。同じ人に出会うとして、こちらがリスペクトしすぎる出会いかたとか、されすぎる出会いかたなんて、僕は嫌いだ。同じひとでも、世間でリスペクトされているひとも、友だちのように、身元や肩書きを知らず語らずに出会えるなら、最高じゃないかとおもった。出会いかたは大事。

 

僕は引き合わせの法則の存在を信じる。コペル君的発想だけど、そう信じている。法則のルールなんて知らなくて、あくまで個人の経験からそう思う。そうじゃないと、考えられないようなことが、事実僕の目の前で起こっているから。

 

南方熊楠は、「世の中には『物』と『心』があって、その二つが結びついたときに『事』が起こる。これはどういう事かというと、目の前にリンゴがあるとする。りんご自体は『物』である。それを私が食べようと思う。これが『心』。そして私は食べるためにりんごを手に取る。これが『事』である。このように、世界には、『物』や『心』は散らばっていて、それらが『縁』によって『事』となり現象として現れてくる。」といった。

 

あほやなあという人もいるかもしれないし、信じる信じないもそのひと次第なんだけど、そう信じる方が楽しいし、そう信じることができれば、ちょっとしたお金とちょっとした勇気があれば、うまくいくのだろう。ふと、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」を思い出した。「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ—このことは、コペル君!本当に大切なことなんだよ。ここにゴマ化しがあったら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったりしても、みんな嘘になってしまうんだ」