3月25日

Banksyの映画を見る。何かが起こったあと、後付けなら、なんだって言うことができる。だから、何かが起こる前に、なぜそのように行動したのかを考えておく。結果、思い通りにいかなくても。誰がなんて言ったって。ある行動を起こしたことが、きっかけで、不満を言うひとがいる、賞賛するひともいる、協力する人、無関心なひともいる。Banksyはグラフィックを通して、問題提議をしている。忘れられそうになっている大事なことを掘り返す。そして、言う、思考停止になるな。

 

grateful deadを聴きながら、気持ち良く仕事をする。最近の会話や雑事より。毎日の食材を選ぶにしろ、100本の木を切るにしろ、何かをおこなうときには、必死に考えて行動したい。以前に、土門拳の写真随筆を思い出した。そこには、いい写真を撮るには?という文章があって、こんなふうに書かれてあった。「ぼくたちは一枚ドンピシャをねらえばこそ、何十枚も何百枚を撮るのだ。」つまり、たくさん撮れ。たくさん撮る上で、一回一回のシャッターを切るときには、これが最高の一枚だと思ってシャッターを押せと。そういうことだ。

 

おとんが言った「食べるために生きる」

ガンジーが言った「生きるために食べるべきだ」

バンクシーが言った「故人の哲学者の名前を後に添えたら、誰の文章でも交渉に見える」