TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを

Everyday with playlists


8月10日

2012年にフィリピンから帰ってきて、たしか、友人に会いに東京に行った。そのついでに、池袋のソフマップで友人のおかげで、安く買ったMacBook Proが熱を帯び、音を立て、挙動不審になる。そうか、5年も使っていたんだった。学生時に教授がムーアの法則で、半導体の集積率が3年で4倍になるといっていたのを思い出す。ということは、一年半で2倍の能力向上、あるいは価格が半分になる。で、5年使ったので、2012年とは8倍以上の開きがある計算になる。が、実際のところ、パソコンやスマホの成長率は下がっているようだ。

 

まだぼくにはパソコンは必要だ。ネットを見るのも、電子書籍を読むのも、音楽を聴くのも、電車の時刻を調べるのも、電卓も、地図を見るのも、買い物も、日常で使うのにはスマホで、十分なんだけど、こと、「作る」に関してはまだパソコンでしかできない。コードも書けないし、細かい動画編集もできやしない。これができないと、表現の細かいところまで突っつくことができない。なにかを表現するなら、自分の手でやるべきだと、ぼくはおもっている。そうじゃないと、自分の感覚がすべて出せないし、伝わらない。それが稚拙だろうがなんだろうが。

 

30分使えば、熱を持って機能が低下する。パソコンを30分使って閉じ、冷めるまで待ってまたはじめるの繰り返し。このループになってから調子がいいのは、最近の音楽の趣向のせいだろうか。そろそろパソコンの買い替えどきのようです。

8月9日

山は、暑い風と涼しい風が交互に吹いています。涼しい風にあたると、秋のはじまりを感じます。ふとカレンダーを見ると、昨日が立秋だったようで、月の暦に、ひとの感覚が寄り添っていることに気づきます。秋は振り返るとそこに立っていました。

 

ひとは自然の元で生活をしているのだから、ひとの作るものも自然の原理に寄り添ったものがいいのだろうと最近はおもっています。自然とはなにかというと、水は低いところを流れるということです。山はのっぺりしているのではなく、尾根と谷が連続していて、しわがあるということです。月によって潮の満ち引きがあるということです。太陽の当たる方向に木は枝を伸ばすということです。 ひとの作り出すものも、より自然に近いものに惹かれます。そういうものから、日本を考えています。

 

先日書きなぐったことのなかの、「経験や体験に基づいた本業とはまったく関係のない知識を持つひとの時代到来」というメモが気になって仕方がありません。

8月8日

Tom waitsのclosing timeを聴く。台風が過ぎる。少し残った雲の隙間から見える、空が青く、その青にみとれる。

 

仕事が終わって、タローさん一家とBBQ。鹿肉と猪肉と、ほぼ自給カレーを食べる。ひと任せにしててもなにもはじまらなくて、結局自分で、自分たちでやりはじめなきゃならぬようだと、いろいろなことが個人の方向に向いているということを、確認しあって帰宅する。自分の時間で自分のお金でやっちゃえばだれもとめやしないということです。

 

帰り道、なんだか明るいとおもって東の方を見ると満月だった。台風の後の澄んだ空の月と川を照らす明かりに惹かれて、おもわず、脇に車を止めて、しばらく月をしばらく眺める。天気が雨や曇りなら、心も陰鬱になるし、晴れているなら、心も陽気になるようにおもう。そんな風な、そんな日本のいろいろを表現している楽曲に最近出会わないから、すこし寂しい。

8月7日

台風のため自宅で待機。台風の風は吹くというより、吸い込まれているよう。ここ最近のいろいろ連打する。

 

スマホの進化の終焉とムーアの法則、個人主義ではない個人の時代、情報が手に入りやすい時代の変わらぬ個人と気付いた個人、Kindleで自費出版、コンデジで4K、野菜の栄養は数十年前の1/6、最先端医療の個人化、病気になる前に治す時代とアンジェリーナ・ジョリー、言葉と民度と鄧小平の時代の虎、筋トレより正しい姿勢・正しい使い方、目に見えるものと見えないものと神話と通過儀礼、21世紀に問われる文化、先延ばしにしたツケと人間関係とフェアでオープンな姿勢、時間の量と質、道に迷うひとの口癖は時間がない、日本文化と何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる、経験や体験に基づいた本業とはまったく関係のない知識を持つひとの時代到来?

 

「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ—このことは、コペル君!本当に大切なことなんだよ。ここにゴマ化しがあったら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったりしても、みんな嘘になってしまうんだ」吉野源三郎「君たちはどう生きるか」