TOSHI KIDA
ウツロイ
色は匂へど散りぬるを

Everyday with playlists


3月31日

Tom WaitsのPoncho's Lamentを聴く。

 

記憶をたどってみるとほとんどが場所に結びついている。ドキッとしたり、懐かしいと感じたりする記憶は、多感な頃に刻まれたもので、それは場所のようだ。そのような場所のことを、心象風景という。僕はこの言葉が好きで、ロバートハリスのワイルドサイドを歩けから学んだ。昨日も言ったけど、言葉が少なくなっていくことが残念だ。マイルス・デイビスのオートバイオグラフィを読むと、彼は幼年期に聴いたグッドプレイヤーの演奏を追いかけて、ずっと演奏し続けていたことがわかる。育つ環境は大事だ。

 

仕事帰りに、いつもの道を通ったら、遠くに満開の桜があった。気になり、近くに寄ると、樹齢150年のしだれ桜だった。あたりに新緑の匂いが漂い、花が咲きはじめた。春がきた。

 


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3月30日

自分の思うままにしゃべっていても、読んだ本や映画のセリフ、友人との会話など誰かの言葉を借りてきて、いろいろ組合せて、しゃべっていることが多いとおもった。そういえば、今日、語彙が少なくなっきているから残念だと知人が言ったことを、僕も言った。言葉の表現が画一的であれば一見便利なようにおもうけど、失っちゃいけない言葉もある。そもそも言葉なんか文化の塊のようなものだ。日本語は日本民族しかしゃべらないから、僕たちの先祖が、なにを大切にしてきたかが、よくわかる。細かく分類された言葉なんかそうで、たとえば、雨にもたくさんの呼び名があるように、空から降るものを大切にしてきたし、魚の大きさで呼び名が変わることから魚も大切だったのだろう。そのくせ、空に浮かぶ星には関心があまりなかったようだ。

3月29日

仕事の休憩中に、以前何かで読んだインディアンの自然とのやりとりを5分だけ試した。それは、目を閉じて、風邪や葉っぱの音、動物や鳥の声に耳を澄ましつづけるというものだ。もちろん、森の中でひとりでやった。なんだかほんわかしたのは確かだが、インディアンは飲食せず2、3日行い、電撃に打たれ、自分の人生の意義を授けられるそうだ。

 

帰りしな、車の窓を全開で走った。猿の群が田んぼでなにかを拾っていた。家に帰ると、ガラス瓶の中の発酵がすすんでいた。春がきた、完全に。

 

さかもっちゃんから、メッセージ。オーストラリアから完全帰国。なにがどうなったのかいまはわからない。詳細は会ったときに話すとのこと。やっぱり面と向かって話すのが大事だ。

3月27日

Grateful Deadを聴く。ずっと聴き続けられる。聴くたびに、音の感じ方がかわる。音楽は変わっていないから、変わったのは、僕のようだ。ということは、僕が変われば(見方を変えれば)、対象のものが変わる。僕を変えるもの(見方を変えるもの)を、芸術と呼ぶ。広重が雨を線で書いたように、あるいはセザンヌのリンゴのように、芸術はいままで見えなかったものを見えるようにする。