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TOSHI KIDA
日々の記録


3月8日

Pulp Fictionでジョン・トラボルタとユマ・サーマンが、チャック・ベリーのYou never can tellに合わせて、ツイストを踊っている映像が頭で流れた。僕はこのシーンが好きだ。

 

小泉武夫「発酵食品礼讃」を読み終えた。発酵食品、日本のものは、カビが多い。土地柄、高温多湿なのでカビは生育しやすい。そこに日本の独自性がある。文化とは土地に根ざしたもののようだ。

 

先日兄が娘を連れて帰ってきたときに、牧場に行った。都会になくて、田舎にあるのは、広い空間と自然だ。星の軌跡や、花の香り、時間によって変わる風、四季の移り変わりなどは、体験しないとわかり得ないもので、体験すべきものだ。広い空間もまた、想像力を喚起するのに必要なのだと強くおもった。

3月7日

スーザン・ソンタグ「反解釈」をすこし読んだ。それから、次に買うだろう本「千のプラトー」についてあらすじを知りたいとおもって、松岡正剛の千夜千冊のジル・ドゥルーズを読んだ。ソンタグの反解釈とドゥルーズのリゾームやプラトーの概念が繋がっているようにおもった。ぼくがいま考えていることっていうのは、誰が、あるいは何が、こう考えろっと指示(アルゴリズム)しているのだろうか、というのは、ずっと疑問におもっている。それって、ひいては、社会構造にも関係あるのだろう。そんでもって、小泉武夫「発酵食品礼讃」をすこし読んだ。発酵すごい興味深い。明日には、ヨーグルティアを買う予定。圧力釜と保温器のダブル。

3月6日

24時間水に浸けて発芽玄米にしたら、食べやすかった。うまく発芽玄米を作れるようにしよう。ヨーグルティアに今注目している。発芽玄米、甘酒、塩麹、発酵食品の幅が増える。

 

そうそう、塩を粒の荒いものに変えた。朝は決まって、発芽玄米のおにぎりに、ごま塩を

ふりかけている。荒い塩が入ることで噛みごたえがある。食べものはもちろん味が大事だけど、テクスチャーも大事だ。テクスチャーとは、食感や歯ごたえのこと。

3月5日

兄が大阪から娘を連れて帰ってきた。我が家の誰しもが張り切っている。この感じは嫌いじゃない。ただやることなすことがよそいきのようで、なんだかいやだ。たとえば、普段食べないものを買い込んできたり。出来合いのお惣菜とか。僕がおもう至上なものって、やっぱり手作りだと思う。親世代は自分で作らなくて、いいものは買ってくるものだと考えているから、そういうことは、変えていきたい。

 

兄夫婦と姪を連れて、近くの農業公園に行った。動物と触れ合えるのはもちろんなのだけど、子どもにとって最も大切なのは、走り回れる広い空間があることだとおもった。それさえあれば、なにもいらない。自分で勝手に、想像力を働かせて、楽しそうに走り回るのだろうから。

3月2日

春の雨の夜が好きなのは、春の雨の夜に生まれたからだろうか。あの匂いが好きだからなのか。(たしかに僕は4月に生まれた。それが雨の日の夜なのかは知らない。また母に聞こう。)生まれる前の記憶はない。子どもの頃の記憶もおぼろげ。そのころの匂いの記憶はたしかにある。春の雨の夜の匂いが好きだ。

 

Now playing / 細野晴臣「chow chow dog」

3月1日

 甘酒試飲会開催。米麹と白米の甘酒は万人受け、米麹のみの甘酒はつう向けの模様。麹の力はすごい。僕は何もしていない。麹が働きやすい環境を整えただけ。

 

試飲会の席で、タローさんが麹が話をしてくれた。市販の味噌は麹の活動を止めているから、真空パックになっているのだ。これは本当の味じゃない。だから、味噌の麹の力を止めずに売ろうと白い棚に置いたそうだ。翌日店に行ってみると、白い棚に味噌が飛び散って、それはまるで、、、だったそうだ。発酵万歳。

 

2月28日

Never young beachの「お別れの歌」のPVをみて、インスタで小松菜奈をフォローした。彼女にはかつての色即ゼネレーションの臼田あさ美のような感じを受ける。Never young beachもまたそういう歌をうたう。

 

松岡正剛さんの千夜千冊のルイス・トマス「人間というこわれやすい種」を読んだ。「人間というものは、自分のことを自分の記憶だけで埋めてはいないのだ。自分にとって憧れたいもので埋めようとしてきただけなのである。そうだとすれば、人間なんてもともとフラジャイルなもので、そうだからこそ、自分を何か別のものによって構成したり、何か別のものに託したかったりするわけなのだ。『エントロピーのなかからのエピファニー』とはそういう意味である。」

 

トマスは言う「ヒトを本性の深いところから衝き動かしている特徴は、役にたちたいという衝動であり、たぶんこれは私たちのあらゆる生物学的な必然性のうちで最も根本にあるものだろう。」

 

ぼくが疑問におもっていたことに対してすこしばかり。自分の記憶は自分の願望を接着剤でつなぎ合わせてできていること、結局自分のことを考えられるだけ考えた先にはだれかのために自分が何ができるかを考えること。

 

 

2月27日

朝は寒く、昼間は暖かい、3時を過ぎればまだ冷え込む。

 

昨日こしらえた甘酒を朝飲んだら、これがめちゃめちゃうまい。出勤前に、別の作り方でこしらえて家を出た。家に帰ると甘酒はできていて、飲めばこれまたうまくいった。これで、僕は甘酒の作り方をふた通りできるようになったわけだ。米を発酵させるだkで、この甘さが得られるのなら、砂糖はいらないなと、すこしおもった。

 

スーザン・ソンタグを知って、ソンタグにメロメロ。千夜千冊の松岡氏の話でソンタグがどんなひとなのかイメージしている。

 

ソンタグを知って、彼女は亡くなっているんだけど、ソンタグと同じ舞台に立てるようになりたい願望が、僕を突き動かしているようだ。そもそも、いままでもそうだったのかもしれない。僕の好きなひと(好きな人というのは、お気に入りのひと、という意味で、会ったことのあるひとから、会ったことのないひとまでを指す)と、対等な会話をしたいとおもう願望が根源なのだとおもう。

 

松岡正剛の千夜千冊のルイス・トーマス「人間というこわれやすい種」の批評で、「これらは驚くほど多くのことがらが思い出というよりも願望であり、誰もがうまくゆくというように事がうまく運ぶことへの望み、あることがらから次のことがらへの連鎖が何かの方向性をもっていてほしいという願い、そして混乱のなかから識別可能なパターンが浮かびあがること、すなわちエントロピーのなかからのエピファニー(真実の顕現)の期待なのである」とあった。

 

夜、車では、 Fishmansの頼りない天使が流れる。

2月26日

日々の営みの記録を積み重ねていったら、なにか重大なことにいつか気付くのかもしれない。

 

昼前に起きた。昨日買った麹屋吉右衛門の花麹(甘酒のもと)を湯で溶かして飲んだ。昼食後には、きなこ牛乳を、そのあと、エチオピア・モカ・イルガチェフェG1を飲んだ。めちゃめちゃうまい!

 

Amazonから、スーザン・ソンタグの「反解釈」「私は生まれなおしている」が届いた。楽しみでしかない。ちょっと読み進めている。「つまるところ、こういうことだー私が書いてきたのは、厳密に言えば、批評でもなんでもない、あるひとつの美学、すなわち私自身の感受性についてのあるひとつの理論を築くための個人的病例研究(ケーススタディ)にほかならなかったのだ。」彼女の著書から聞きたかった言葉が聞けた。最高!

 

DonovanのカヴァーでFirst aid kitが歌うUniversal soldierを聞いた。それから、Patti Smithが、Bob Dylanのノーベル文学賞受賞式の代打で歌ったHard rain gonna fallを聞いた。途中で声が出なくなって、Sorry I'm so nurvousと言って歌い直した。そんな素敵な人になりたい。今日は暖かい。甘酒を作った。